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林散之(りんさんし)

1898年-1989年

私共は、美術品業界で48年の間で豊富な経験と確かな実績を積み重ねてまいりました。
現在も、数多くの林散之(りんさんし)作品の査定および買取をさせて頂いており、これからもお客様より信頼される鑑定人集団でありたいと考えております。
東京美術商協同組合にも加盟しておりますので、初めての方でも安心してご利用いただけます。
お気軽にご相談ください。

お知らせ 2023年11月22日 2023年の年末年始休業日のお知らせ

林散之はすべての商品が我楽洞では高額買取対象です

林散之(りんさんし)は、独自の草書のスタイル「林体」を確立した書道家および書画家です。その字体は「世俗の煩わしさに捉われることなく、伸び伸びとした美しさを持つ」といわれています。草書の最高峰を意味する「当代草聖」で有名な歴史的人物です。 我楽洞では、林散之の作品の買取を強化しておりますので、買取の際にはぜひご相談ください。 どなた様であっても丁寧にご説明、査定を行いますので、初めての方でも安心してご依頼いただけます。

林散之の代表作品

  • 草書王昌齢詩
    草書王昌齢詩
  • 草書杜甫詩
    草書杜甫詩
  • 草書李白詩
    草書李白詩

林散之作品の高額査定ポイント

作家本人あるいは遺族や知人からの寄与や依頼も大歓迎

「九十老人散耳」や「草堂夢帰」など、林散之の手がけた貴重な作品をお持ちでしたら、ぜひご連絡ください。腕利きの鑑定士陣が、しっかりと鑑定させていただきます。

保存状態は査定に大きく影響

作品にカビやシミ、日焼けあるいは破れ・破損がある場合には、査定に大きく影響してしまいます。普段から風通しの良く直射日光が当たらない場所に保管するのが良いでしょう。

鑑定書があれば査定がよりスムーズに

対象の作品に鑑定書があれば、査定の際に一緒にご提示ください。鑑定書があることによって一定の価値が確認でき買取がよりスムーズに行なうことができます。

落款や共箱は重要査定項目

一般的に絵画には落款(らっかん)やサイン、共シールがあります。サインと落款が重要な査定項目の一つとなります。また、掛け軸の場合は作品を収めておく共箱も査定の対象になります。

所載物・本に出てる作品は査定額に期待

美術関連の雑誌や、本に掲載されている作品は、高価買取が可能です。

買取できる品目

林散之の中国美術買取に関してよくあるご質問

林散之の初期作品を売ろうと思っていますが、鑑定は確かなものでしょうか?

我楽洞は、全国の約500名の有力組合員で構成されている「東京美術商協同組合」に加盟しています。初期作品でも抜かりなく鑑定いたします。特に1920年代の山水画作品は希少価値で、相場も高騰しています。

LINEやメールで査定金額を教えてもらえるのでしょうか?

作品画像と作品情報の添付が、最低限として必要になります。情報が揃い次第、概算を返信いたします。

概算ではなく正確な査定額を知りたいのですが

鑑定士が実物を拝見したうえで、対象作品に見合った正しい査定額を算出します。メールによる画像添付などでは、トラブルにつながる恐れがあるため、正しい査定額はお答えできません。

中国の絵画がたくさんありますが、すべて買取してもらえるのでしょうか?

実際に査定してみないとわかりませんが、一つ一つ的確に査定しお伝えいたします。

中国の陶磁器の売却を検討中です。もしも査定額に納得がいかなかった時には、キャンセルできますか?

はい。キャンセルいただくことは可能で、その際にキャンセル料もかかりません。

中国人作家の絵画を売りたいと思っていますが、周りの人に知られたくないのですが、ご配慮いただけますか?

ご安心ください。我楽洞では、常にお客様とのお取引内容は秘密厳守でさせていただいております。

出張買取の流れ

鑑定の申し込み

お問い合わせ下さい。 お客様のご希望に合わせ、ご訪問日時を決めさせていただきます。

ご希望時間にお伺い

ご予約を頂きました日時に鑑定士がお伺致します。

作品の鑑定

ご依頼を頂きました作品を拝見させて頂き査定を行わせて頂き、買取金額と内容を伝えします。

査定額のお支払

ご納得頂けましたら、その場で現金にてお支払いさせて頂きます。

林散之について

林散之は1898年に、南京市江浦郡(現在の浦口区北西部)で生まれます。本名は林霖ですが、従兄弟のなかで5番目に生まれたことから、幼少期は「小五子」と呼ばれていました。のちに1900年代を象徴する書道の大家と呼ばれるまで立身出世を果たしたものの、その才能が日の目を見たのは、70歳を過ぎてからのことでした。

3歳で机に落書きをし、5歳のときには写生ができていたという小五子少年。また、5歳で患った中耳炎により、左耳が聞こえない人生を送ることになります。6歳から学校に通いはじめると、孔孟の言論に関する経典を学び、春秋時代の歴史書や古文、詩経、唐詩などを修得。書道の腕前もあり、12歳にして春節で用いる春聯に字を書くほどだったといわれています。14歳のときには南京に出向き、山水画家の張青甫から肖像画を学びました。書道に関しては、16歳のときに馬鞍山市和県の范培開から基礎を学び、18歳以降は同県出身の張栗庵を師事します。

20代になり、林家の先祖が眠る和県烏江鎮を拠点とします。22歳のときには范培開の紹介で盛徳粋と結婚し、5人の子宝にも恵まれました。23歳で果樹園を開拓していますが、当時の開拓模様を描いた詩や書画が晩年に盛大な評価を受けることに。24歳のときに張栗庵の勧めで「散之」に改名し、教職の道に進みます。32歳で一旦、教職から離れると、張栗庵に紹介された山水画の達人・黄賓虹から教えを請うため、単身で上海に出向きます。2年の師弟期間を経た散之は、再び和県に戻り教師として復職。

その後も黄賓虹と交流を重ね、50代以降は政治家としての地位も確立していった散之。書画家としても、散之名義の山水画を数多く残していきます。自身の象徴である「左耳」を印章として刻んだのも、この時期のことです。議員生活を定年後、文革により自身の大量の書籍や書画、碑書が検閲されて焼却されます。文革での弾圧は深刻さを増し、全身大火傷で命を落とす寸前の迫害も受けました。しかし、その窮地が逆に自身の活路を開くことに。それまでの散之の作風といえば、黄賓虹から手ほどきを受けた水墨画が主流のスタイルでしたが、迫害後は焼失された自身の作品を回想するように写生し、オリジナリティを確立。水墨画では特に、黄山の煙雲の景色を独自のスタイルで表現していきました。

書道に関しても、自身の集大成となる「気」「韻」「意」「趣」を反映させた、非凡かつ高度な草書で新たな境地を開きます。そうしたなか、1972年の中日国交正常化に伴い、人民中国雑誌社が「中国現代書道作品選」を企画。同社は選出活動を通じて、散之の存在を知ります。翌年に特集として発行された同企画で、散之の名は国内をはじめ、日本にも広まっていきました。その際、特集で一緒に名を連ねた著名人の啓功(启功)に「当代三絶」と言わしめたほど、散之の才能は称賛を受けます。また、当時の書画界を牽引した李志敏の名を用いて、世間では「南林北李」と持てはやされました。その後は書道を通して、日中交友に携わり、国内での教育活動や展覧会などで実績を上げていくも、入退院を繰り返す闘病生活には勝てず、1989年に92歳でこの世を去っています。散之の死後には「林散之芸術館」が建立され、その館名を啓功が書いたことでも知られています。

略歴

1898年 中国江蘇省で生まれる
1911年 南京に出向き張青甫から肖像画を学ぶ
1913年 范培開を師事(書道)
1915年 張栗庵を師事(書道・詩文)
1919年 盛徳粋と結婚する
1920年 和県烏江鎮で果樹園を開拓する
1921年 散之に改名する
1929年 上海に出向き黄賓虹を師事(山水画)
1933年 読書社「求声」を設立
1945年 印章「左耳」を手がける
1947年 国立安徽大学から文学・芸術教授として招聘される
1951年 南京江浦県議員に選出される
1956年 江浦県の副知事に就任
1958年 南京市の政協常務委員に選出される
1959年 江蘇省の政協委員に選出される
1962年 南京市文学芸術工作者連合会の副主席に就任。「岷江山水図」を手がける
1963年 江蘇省国画院で専属の絵師として雇われる
1966年 文革期に突入し迫害の対象となる
1972年 「中国現代書道作品選」に選出される
1972年 草書の掛け軸「毛主席詞清平楽会昌」が郭沫若や啓功などから称賛される
1973年 人民中国雑誌社から「中国現代書道」が発行され一躍有名になる
1979年 日本書道家友好訪中団と親交を深める
1980年 心筋梗塞で入院する。
1980年 文化芸術界委員の常務委員と副主席に就任。江蘇省美術館で「林散之の書展」が開催される
1982年 南京少年児童書画工作者協会の名誉会長に就任
1983年 腹部腫瘤により入院
1985年 中国書家協会の名誉理事に就任
1988年 慢性気管支炎の急性発作、閉塞性肺気腫や糖尿病のため入院
1989年 北京中国美術館で開かれた「全国第4回書道篆刻展覧会」にて、草書の詩「画堂」が入展する
1989年 痰が気管に詰まり病死。享年92歳

お客様の声

祖父が生前に林さん本人から頂いたものだと言っておりました。どうやら本当だったようです。

埼玉県上尾市 M・R 様

あまり達筆とは感じない掛け軸でしたが、評価は抜群でした。逆立ちしても素人目にはわかりませんが、ありがとうございます。

神奈川県横浜市鶴見区 T・J 様

ヤフオクやメルカリを使わなくてよかったです。最初は申し込むのに勇気がいりましたが、結果は正解でした。安易なネットオークションより、確実性のある古美術屋さん!

神奈川県厚木市 M・A 様

中国美術-お客様の声3

私は中国の美術品が好きで買い集めていましたが、諸事情で今回、一部を処分することになりました。
中国の美術の最新情報の話も聞けてよかったです。何かあれば次回も依頼したいです。

神奈川県鎌倉市 O.S 様

中国美術-お客様の声2

中国の陶磁器を売りたいと思ってネットで探しましたが、信頼できそうな業者が見つからず苦労しました。
最終的にこちらにお願いして良かったです。

新宿区東京都 村山雅弘 様

中国美術-お客様の声1

中国の近代アートを集めていましたが、多くなりすぎたのでの処分したいと思い今回、連絡しました。
担当の方から美術品について話をしてもらい、勉強になりました。
また機会があればよろしくお願いします。

杉並区東京都 I.O 様

林散之作品の買取で選ばれる理由

  • 査定料は無料

    査定料は一切かかりません。その他、キャンセル料、出張買取時の出張料などが無料です。

  • スピード査定

    長いお時間は頂きません。その場ですぐに査定し買取金額をご提示致します。

  • 当日査定OK

    東京都内、神奈川、千葉、埼玉なら当日のご依頼でもお伺い致します。

  • 経験豊富な鑑定士による査定

    数多くの林散之作品を査定してきた我楽洞の鑑定士が高価買取させて頂きます。

  • 100,000点以上の買取実績

    業界ナンバー1の実績
    他店では買取を断られたお品もご相談ください。

  • 高価買取

    我楽洞独自の流通ルートを確保しているため、高価買取が可能です。

  • 手間なし

    査定は玄関先で行いますので、お部屋の準備は不要です。

  • 全国対応

    我楽洞は日本全国対応しております。関東から遠方であっても出張費用は無料です。

東京美術商協同組合に加盟

我楽洞は正確な査定をおこない、お品物を適正価格で買い取りさせて頂いております

東京美術商協同組合は、厳しい入会規定を設けており約500名の有力組合員で組織されており、その信用は国内はもとより、海外からも高く評価されております。
「絵画・掛け軸を高価買取致します」と謳う、ほとんどの業者はこのような信頼性の高い組合に属していることはありません。
もし、他社でご検討していらっしゃる事があれば、どのような組合に所属しているか、あるいは所属していないかを事前にお調べ頂く事をおすすめしております。

鑑定士紹介

私たちが責任をもって、お客様の大切なお品物を鑑定・買取させて頂きます。

我楽洞から皆さまへ

我楽洞では、絵画、書画、陶器を中心とした美術品、骨董品、中国美術をお買い受けする専門業者です。 長年業界に携わり年間鑑定10,000件以上と豊富な経験を持つ専門スタッフが鑑定をさせて頂きます。

この機会に、ご相談くださいませ。