村瀬治兵衛について
村瀬治兵衛(むらせ じへい)は、江戸時代より七代続く木地師の家系であり、現代では漆芸家としても有名です。
初代 村瀬治兵衛は1897年に江戸時代から代々続く木地師家に生まれました。腕の立つ木地師として知られており、木地が透ける程、極限まで薄くくり抜く極薄挽きを得意としたといわれています。木地を加工するだけで満足できなかった治兵衛は漆器として完成品を目指す傍ら北大路魯山人と出会い、魯山人から指導を受けることで塗師・木地師として腕を磨き、「はつり」と呼ばれる技巧を生かした薄挽きの中にも大胆さがある特徴的な作風で多くの漆器を制作しました。
1976年に二代目に代を譲ると「治庵」と名乗り、晩年は楽茶椀の制作に没頭します。幾度も失敗を繰り返しながらも製作を続け、徐々にその出来栄えの見事さが松永耳庵氏などの数寄者にも伝わり、財界茶人の茶会でも使用されるようになりました。治兵衛の作り出す作品は、繊細な所まで見事な出来で、表千家・裏千家の家元の箱書きを頂くなど高く評価されていました。
1976年に二代目となった村瀬治兵衛は、根来塗・独楽塗を得意として「根来の治兵衛」と呼ばれ、現在の治兵衛の作風を確立したといわれています。日々庵鈴木宗保や立花大亀老子の薫陶を受け、洗練された茶道具を世に多く送り出しました。
三代目 村瀬治兵衛は2001年に襲名し、「沢栗」のシリーズなど様々な漆器を制作しています。三代目からは木地師の仕事に加え漆塗りまで一貫して手掛けるようになりました。
2016年の秋には、ニューヨークで個展の機会を得ると、フィラデルフィア美術館にも作品が収蔵されるようになります。その作風は素材の経年変化による味わいが素晴らしく、使い込む程に風合いを増し、色やデザインからは風格が感じられると評判を呼んでいます。
略歴
初代 治兵衛
1897年 | 四代続く木地師の家系に生まれる |
1951年 | 東京からの注文が増えたため一家で東京に移動する |
1976年 | 二代目に治兵衛を譲る |
二代目 治兵衛(本名 喜三郎)
1927年 | 初代治兵衛の長男として名古屋市に生まれる |
1964年 | 木地師として六代目を継ぐ |
1976年 | 二代目治兵衛を襲名 |
三代目 治兵衛(本名 治)
1957年 | 二代目治兵衛の長男として東京に生まれる |
1980年 | 東京造形大学の彫刻科を卒業 |
2001年 | 三代目治兵衛を襲名、木地師として七代目を継ぐ |