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呉冠中作品はすべての商品が我楽洞では高額買取対象です
呉冠中(ごかんちゅう)は、中国の芸術界で巨匠と呼ばれる存在で、海外でも非常に人気の高い画家です。多くの作品が対象物をはっきりと描かない抽象画とよばれるものです。我楽洞ではこの呉冠中の作品の買取を強化しており、高額でのお取引も可能となっています。ぜひ買取のご依頼は我楽洞にお任せください。
我楽洞では、呉冠中の作品の買取を強化しておりますので、ぜひご相談ください。
どなた様であっても丁寧にご説明、査定を行いますので、初めての方でも安心してご依頼いただけます。
呉冠中作品の買取について
略歴
1919年 | 中国・江蘇省に生まれる。 |
1936年 | 杭州芸専附属中学に転じ、李超士・方幹民に油画を学ぶ。 |
1940年 | 国画系に転入し、藩天寿に学ぶかたわら古画の模写に励んだ。 |
1942年 | 国立杭州芸術専門学校を卒業。 |
1946年 | 教育省派遣留学生として渡仏し、パリ国立高等美術学校に入学。スフォルピに学んだ。 |
1950年 | 帰国。中央美術学院講師となり、さらに清華大学・北京芸術師範学院でも教えた。 |
1978年 | 中央工芸美術学院で初めて個展を開催する。 |
1979年 | 中国美術館が「呉冠中絵画作品展」を主催。 |
1989年 | 香港オークションで『高昌遺跡』当時の最高額で取引される。 |
1992年 | 「大英博物館」で個展を開催する。 |
2002年 | アジア人芸術家として初のフランス学院のアカデミー会員となる。 |
2010年 | 逝去。享年91歳。 |
呉冠中は、現代中国美術を代表する作家です。西洋と東洋の異なる芸術を上手く取り入れ、独自の画法によって作品を作り上げています。多くの作品は対象物を写実的に描かず、そこから感じ取れる点や線、光などを表現した抽象画となっています。
呉冠中は1919年に中国東部に位置する江蘇省に生まれました。23歳(1942年)になると国立杭州美術学校を卒業し、フランスへ渡りフランス国立美術学校で西洋美術を学びます。1950年に帰国しましたが、その際に政府に裸婦画を非難され、農村での強制労働に従事させられました。それでも絵に対して情熱が冷めることなく、糞を入れるかごを台にして絵を描き続けたこともありました。
50歳(1970年)になると画家としての復帰が許され、中央美術学院や中国の最高学府と呼ばれる清華大学でも教鞭をとりました。1989年には「高昌遺跡」が香港のオークションに出品され、およそ3,000万円で落札されました。1992年には大英博物館で個展を開催し、2002年にはフランス学院のアカデミー会員となりました。2010年に91歳で逝去。
呉冠中の代表作品
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- 周荘
- 上海近郊の水郷の町である周荘をイメージした作品です。中央にある丸い橋が印象的です
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- 林立するビル
- 無数に立ち並ぶビルを描いています。活気がある一方でどことなく寂しさを感じます。
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- 海棠
- 海棠(かいどう)は中国を原産とするバラ科の落葉小高木。明るさと凛々しさのある作品となっています。
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- 映日(日の光のもとで)
- 淡いピンク色の蓮の花を柔らかに表現。呉冠中では珍しく抽象画ではない具象画の作品です。
呉冠中の買取実績
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- 孔林
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- 水郷
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- 李村樹
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- 龍潭湖
呉冠中作品の高額査定ポイント
呉冠中の作品は高額の買取が可能
海外のオークションでも非常に高額で取引されている呉冠中の作品は、我楽洞でも高価で買取いたします。
保存状態は査定に大きく影響
作品にカビやシミ、日焼けあるいは破れ・破損がある場合には、査定に大きく影響してしまいます。普段から風通しの良く直射日光が当たらない場所に保管するのが良いでしょう。
鑑定書があれば査定がよりスムーズに
対象の作品に鑑定書があれば、査定の際に一緒にご提示ください。鑑定書があることによって一定の価値が確認でき買取がよりスムーズに行なうことができます。
所載物・本に出てる作品は査定額に期待
美術関連の雑誌や、本に掲載されている作品は、高価買取が可能です。
呉冠中作品の買取に関してよくあるご質問
呉冠中の作品には偽物がありますか?
海外で非常に高価で取引されている分、贋物も出回っているようです。慎重かつ正確な査定を行なう必要があります。