長谷川潔について
日本には様々な名画を生み出した版画家が存在していますが、その1人に長谷川潔が挙げられます。長谷川潔と言えば、当時フランスでは消滅に瀕していた古い版画技法としても知られているマニエール・ノワール(メゾチント)技法を復活させ独自の様式として確立された人物です。
銅版画とは白い画面に黒い線を書くものですが、この歴史を変えて黒い画面を生み出したのです。この技法は一流の刷師でなければ再現することはできず、1970年に刷師のケネビルがなくなると、長谷川潔は一度活動をやめてしまうのです。
マニエール・ノワールとは、銅版画の技法のひとつに当たり、「メゾチント」とも英訳して呼ばれています。どちらかというとこちらの名称の方が一般的とも言えるでしょう。
長谷川潔は、1918年に版画技術の習得するためにフランスに渡り、パリを拠点に活動した銅版画家です。1935年にはフランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を受章し、1966年にはフランス文化勲章を受章し、生涯フランスにて制作を続けました。
長谷川潔の作品は、銅版画だけではなく、パステルや油絵などの作品があります。
長谷川潔の代表作品の中でも一番有名なものが、1969年の銅版画『時 静物画』と言えるでしょう。マニエール・ノワール技法で制作された版画作品にあたります。
1930年に制作された「アレクサンドル3世橋とフランスの飛行船」もマニエール・ノワール技法で制作された有名な版画作品です。
その他にも1951年の「コップに挿した野花」はビュラン技法で制作された代表作品のひとつです。
略歴
1891年 | 神奈川県横浜市に銀行家の子として生まれる |
1902年 | 父が死去。東京の麻布に転居 |
1912年 | 本郷洋画研究所で黒田清輝や岡田三郎助に師事する。バーナード・リーチからはエッチング技法の指導を受ける |
1913年 | 文芸同人誌『仮面』に参加 |
1916年 | 永瀬義郎、広島晃甫と「日本版画倶楽部」結成 |
1918年 | 渡仏 |
1925年 | 初の版画の個展を開く |
1926年 | サロン・ドートンヌ版画部門の会員となる |
1928年 | 春陽会会員となる |
1931年 | 日本版画教会創立会員となる |
1935年 | フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を受章 |
1943年 | ミシェリーヌ・M・ビアンキと結婚する |
1964年 | パリ中央監獄、ドランシー収容所に収監される |
1964年 | フランス芸術院コレスポンダン会員となる |
1966年 | フランス文化勲章受章 |
1967年 | 勲三等瑞宝章を授与される |
1980年 | パリで老衰のため死去。享年89歳 |