朝倉文夫について
朝倉文夫(あさくら ふみお)は、明治から昭和にかけて活躍した彫刻家です。明治16年(1883年)に大分県大野郡上井田村(現豊後大野市)で生まれた朝倉は、19歳の時に彫塑家の兄を頼って上京し、翌年に東京美術学校(現東京藝術大学)の彫刻選科に入学しました。東京美術学校の卒業作品として、彫刻作品「進化」を制作します。
東京美術学校を卒業すると千駄木谷中にアトリエ「朝倉塾」を構え弟子の育成にあたるとともに、第二回文展に「闇」を出品し最高賞にあたる2等賞を受賞します。明治43年(1910年)には、谷中霊園の老墓守をモデルにした「墓守」を発表します。「墓守」は、朝倉の最高傑作とも言われる老人の立像で、平成13年には重要文化財に指定されました。
以後は、自然主義的写実描写を貫き通し、大正10年(1921年)には東京美術大学の教授、大正13年には帝国美術院の会員に就任します。さらに、昭和7年(1934年)にはアトリエを改築し、現在の朝倉彫塑館となる「朝倉彫塑塾」を開設しました。
戦後も精力的に活動し続けた朝倉は、昭和23年(1948年)に彫刻家として初めて文化勲章を受章し、昭和39年(1964年)に81歳で亡くなります。
なお、朝倉文夫がアトリエを構えた谷中は猫が非常に有名ですが、朝倉も猫をこよなく愛し、自宅で数多くの猫を飼うとともに、明治42年(1909年)発表の「吊るされた猫」、昭和21年(1946年)発表の「よく獲たり」など猫をモチーフにした作品を多く残しています。
略歴
1883年 | 大分県大野郡池田村に渡辺要蔵の三男として生まれる |
1902年 | 19歳で彫刻家の兄を頼り上京し、彫塑と出会う |
1903年 | 東京美術学校(現・東京藝術大学)彫刻選科に入学 |
1907年 | 東京美術学校(現・東京藝術大学)彫刻選科を卒業 |
1907年 | 東京都台東区谷中にアトリエと住居を構える |
1908年 | 第二回文展に出品した「闇」が2等賞を受賞。文部省買上となる |
1910年 | 第四回文展に出品した「墓守」が2等賞を受賞。文部省買上となる |
1911年 | 第五回文展に出品した「土人の顔 其の二」が3等賞を受賞。文部省買上となる |
1912年 | 第六回文展に出品した「若き日の影」3等賞を受賞。文部省買上となる |
1921年 | 東京美術学校教授に就任 |
1924年 | 帝国美術院会員 |
1937年 | 帝国芸術院会員 |
1944年 | 東京美術学校教授を辞任し帝室技芸員となる |
1948年 | 彫刻家としてはじめて文化勲章を受賞 |
1964年 | 死去。享年81歳 |