澤田政廣について
澤田政廣(さわだ せいこう)は、明治~昭和にかかえて活躍した静岡県熱海市出身の彫刻家です。本名は寅吉といい、政廣は晩年の号で他にも「寅」「晴廣」などの号があります。代表作には「吉祥天」や「大聖不動明王」などがあり仏像彫刻を得意とする彫刻家です。
政廣は、旧制韮山中学校(現在の韮山高校)を中退したのち、高村光雲の高弟「山本瑞雲」に師事し19歳にして彫刻家を志します。27歳の頃、第3回帝展に「人魚」を出品し初入選を果たします。
1931年には初入選した帝展の審査員を務めており、1941年には木彫界の作家である三木宗策と正統木彫会を結成しました。政廣は、多くの場所で活躍してきた人物であり、日展の審査員や評議員、理事や常務理事、顧問だけではなく、日本彫塑会名誉会長も務めた人物です。
1973年には文化功労者に選ばれ、1979年には文化勲章を受章しています。出身の静岡県熱海市には澤田政廣記念美術館があり、エントランスホールにはステンドグラスの「飛天」が飾られており、それ以外にも同美術館では彼の様々な代表作を鑑賞することが可能です。木彫作品だけではなく、絵画や墨彩、版画や陶芸、書などが展示されており、澤田政廣が幅広い領域で活躍していたことが分かります。力強い生命感だけではなく、詩情に溢れている作風が多くの人から支持されていることがわかります。彼の作品は今なお多くの人々から愛されており、日本の優れた彫刻家の1人だと言えます。
略歴
1894年 | 静岡県熱海市に三男として生まれる |
1913年 | 旧制韮山中学校(現在の韮山高校)を中退 |
1914年 | 上京し、高村光雲の高弟「山本瑞雲」に師事 |
1918年 | 太平洋画会研究所にて彫刻を学ぶ |
1921年 | 第3回帝展で「人魚」が初入選 |
1923年 | 結婚し、本郷区動坂に住む |
1924年 | 第5回帝展で「銀河の夢」が特選を受賞 |
1924年 | 東京美術学校彫刻科別科へ入学し、朝倉文夫の指導を受ける |
1926年 | 東京美術学校彫刻科別科卒業 |
1931年 | 帝展審査員を務める |
1931年 | 日本木彫会が結成され、同会会員となる |
1932年 | 第13回帝展で「華炎」を出品し、政府買い上げとなる |
1935年 | 太平洋美術学校の講師となる |
1940年 | 日本木彫会を脱退し、三木宗策と「正統木彫会」を結成 |
1946年 | 第2回日展に「赤童子」を出品し、政府買い上げとなる |
1947年 | 日展審査員を務める |
1950年 | 日展運営会参事となる |
1952年 | 「五木之精」が芸術選奨文部大臣賞を受賞 |
1953年 | 「三華」が日本芸術院賞を受賞 |
1955年 | 第11回日展に「大聖不動明王」を出品 |
1962年 | 日本芸術院会員となる |
1964年 | 日本陶彫会会長となる |
1965年 | 日展常務理事となる |
1970年 | 日本彫塑家連盟理事長を務める |
1971年 | 日展顧問、日本彫塑会名誉会長となる |
1973年 | 文化功労者となる |
1979年 | 文化勲章受章 |
1988年 | 急性肺炎にて死去。享年93歳 |