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取扱作家

戸張孤雁(とばり こがん)

1882年-1927年

買取できる品目

戸張孤雁について

戸張孤雁(とばり こがん)は、明治~大正~昭和時代に活躍した東京日本橋出身の日本を代表する彫刻家であり版画家です。本名を志村亀吉といい、後に母方の姓を継ぎ戸張を名乗るようになります。

1895年に小学校高等科3学年を終了すると、1898年には日本銀行に採用されます。日本銀行で働きながら片山潜から英語を学び、1901年の青年期に苦労してアメリカに渡ります。

メカニックインスティチュート、ナショナルアカデミーで挿絵や洋画などを学び、ここで生涯の親友となる荻原碌山と知り合います。1909年には中原悌二郎と出会い、この頃に朝倉文夫のところで作造を学びます。1906年に病気が原因で帰国し、1910年に入ると孤雁新東錦絵会を創設し、自分自身の版画作品の頒布会を開催しました。

1910年4月、親友の荻原碌山が亡くなります。戸張孤雁は碌山の死をきっかけに彫刻の道を目指すことを決め太平洋画会研究所彫塑部に入ります。同年の第四回文展にて彫刻「をなご」を出品し入選を果たします。

代表作には、水彩画「千住大橋の雨」や木版画「化粧」、彫刻「をなご」、版画「玉乗り」などがあります。戸張孤雁は、45歳という若さで永眠しましたが、現在でも数多くの作品が残っていて、多くのファンを魅了しています。

略歴

1882年 東京日本橋に志村久蔵の長男として生まれる
1898年 日本銀行に給仕として就職する
1899年 片山潜より英語を学ぶ
1901年 渡米し、ナショナルアカデミーで挿絵や洋画を学ぶ
1902年 生涯の親友となる荻原守衛と出会う
1903年 アカデミーを辞めアートリーグに通う
1906年 病になり帰国。小田原で療養する
1907年 東京日暮里に移る
1908年 「孤雁挿絵集壱巻」を刊行する
1909年 中原悌二郎、中村彝らと出会う
1910年 碌山の死をきっかけに彫刻の道を目指すことを決め太平洋画会研究所彫塑部に入る
1910年 第四回文展に出品した彫刻「をなご」が入選する
1912年 中原悌二郎とお互いの首を制作するため交換モデルをはじめる
1913年 石井柏亭らと水彩画会を創立する
1917年 日本美術院彫刻部同人となる
1919年 山本鼎らと創作版画協会を創立
1924年 第11回院展に「渕」「煌めく嫉妬」を出品
1927年 病床にて「碌山を憶ふて彫刻界の現状に及ぶ」を執筆
1927年 自宅にて死去。享年45歳

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