稲垣稔次郎について
稲垣稔次郎(いながき としじろう)は昭和時代に活躍した染色家です。重要無形文化財「型絵染」の保持者(人間国宝)としても知られています。
1902年に京都市下京区で生まれます。兄は日本画家の稲垣仲静であり、父の稲垣竹次郎は日本画家であり漆器や金工品の図案家としても活躍していた人物でした。
京都市立美術工芸学校を卒業した後、上京し東京三越本店図案部に就職しますが、1922年に兄の稲垣仲静氏が死去したことで同年7月に京都に戻り、松坂屋の京都支店図案部に勤務します。9年後の1931年には松坂屋を退職し、染色工芸の研究し始めたとされています。
1947年になると、日本の陶芸家の一人でもある富本憲吉氏と小合友之助氏などと共に、現在の新匠工芸会でもある新匠美術工芸会を結成しました。
1951年には日展審査員をつとめ、1958年には日本工芸会理事に就任すると同時に京都市立美術大学の教授となり、その4年後の1962年3月に「型絵染」により重要無形文化財でもある人間国宝に認定されるなどの略歴を持つ人物です。数多くの受賞を得ている染色家ではありますが、晩年最期の1963年には日本の勲章一つとされる勲四等瑞宝章を受章しました。
略歴
| 1902年 | 京都市下京区麩屋町に生まれる |
| 1922年 | 京都市立美術工芸学校図案科を卒業し、東京三越本店図案部に就職 |
| 1922年 | 兄が死去のため京都に帰郷。松坂屋京都支店図案部に勤務 |
| 1931年 | 松坂屋を退職 |
| 1940年 | 第15回国画会に出品した屏風「西瓜の図」が国画会賞を受賞 |
| 1941年 | 第4回新文展に出品した屏風「善隣譜」が特選を受賞 |
| 1944年 | 第1回日展に出品した屏風「松の図」が特選を受賞 |
| 1947年 | 富本憲吉・小合友之助らと新匠美術工芸会(現・新匠工芸会)の結成に参加 |
| 1950年 | 京都市立美術専門学校助教授兼京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)講師となる |
| 1951年 | 日展審査員となる |
| 1958年 | 日本工芸会理事に就任する |
| 1958年 | 京都市立美術大学教授となる |
| 1962年 | 重要無形文化財「型絵染」保持者(人間国宝)に認定される |
| 1963年 | 死去。享年61歳 |



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