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2023年3月20日 茶道具

武者小路千家について

茶道には、さまざまな流派が存在します。中でも「三千家」と呼ばれる三つの流派(表千家・裏千家・武者小路千家)は、茶道の流派の中でもメジャーな流派として知られています。いずれの流派も千利休の孫である千宗旦(せんのそうたん)の子どもたちがつくっています。
その中で次男の宗守(そうしゅ)は、一時期塗師の家に養子として入っていましたが、次第に三男の宗左とともに行動するようになります。やがて、自身の還暦を前に茶の世界に戻り「官休庵」(かんきゅうあん)を武者小路通りに開いたことから「武者小路千家」が興ります。

「武者小路千家」の歴史と特徴

裏千家の家元は、武者小路千家創始者である「宗守」の称号を受け継いできました。江戸時代には高松藩に仕え、茶道指南役に就きました。また、茶の湯の文化が町人の間にも広がるよう努めました。明治時代になると、武者小路千家は一時断絶してしまいます。しかし、大正時代には、武者小路千家は再興します。昭和時代には、茶道の専門学校を開校させました。最近は、海外への普及活動にも力を入れています。

武者小路千家は、茶室の装飾はシンプルかつ簡素で、無駄のない合理的な所作を重視しています。三千家の中で、もっとも保守的であるともいわれます。その他「お抹茶はあまり泡立てない」「正座するとき、膝は男女とも閉じるかこぶし一つ分まで開ける」といった特徴があります。