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2023年3月20日 古美術/骨董茶道具

高額査定が期待できる千家十職の茶道具とは

茶道具を制作するスペシャリスト「千家十職」とは

千家十職(せんけじっしょく)とは、三千家(表千家、裏千家、武者小路千家)で使う茶道具を制作する人たちのことをさします。

千家十職に該当するのは、

茶碗師 [樂吉左衞門]
釜師 [大西清右衛門]
塗師 [中村宗哲]
指物師 [駒沢利斎]
金物師 [中川浄益]
袋師 [土田友湖]
表具師 [奥村吉兵衛]
一閑張細工師 [飛来一閑]
竹細工・柄杓師 [黒田正玄]
土風炉・焼物師 [永樂善五郎]

の十人の職家です。

千家十職が制作する茶道具は、「利休好み」ともされる千利休や、利休の流れを汲む三千家が使う茶道具を制作しています。かつては三千家に茶道具を納めていた職家は20以上あったといわれますが、江戸時代後半に現在までつながる形に整理されました。この時は千家十職という名称はなかったのですが、大正時代に百貨店で開催された茶道具の展覧会の時に初めて用いられたとされています。

千家十職の家々では、家元や茶人の求めに応じて茶道具を分担して制作しています。また、利休好みの伝統を守るだけでなく、時代の変化に合わせて、職人自らの創造性を活かした茶道具も制作しています。また、千家十職の会として「十備会」が結成され、およそ3年ごとに展覧会を開催しています。

我楽洞では、千家十職のすべての作品が高額買取対象です。専門知識を持ったスタッフが丁寧に査定し、適正価格で買い取らせていただきます。茶碗、茶釜、茶杓など千家十職の作品がありましたらぜひ一度ご相談ください。

茶碗師 [樂吉左衞門]

茶碗師とは?

茶碗師(ちゃわんし)とは、茶道で使う道具である茶碗を作る陶芸家のことをいいます。茶碗は、季節や茶席に応じてさまざまな茶碗を使います。主なものとして中国から輸入された「唐物」や朝鮮から入ってきた「高麗物」、そして日本で作られた「和物」があります。茶道において茶碗はお茶を飲むための器であるとともに、茶菓子や生花とともに茶席における季節感を演出するための茶道具にもなっています。

茶碗師 樂吉左衞門(らく きちざえもん)

茶碗師 樂吉左衞門千利休の流れを汲む三千家(表千家、裏千家、武者小路千家)が使う茶道具を制作している「千家十職」の茶碗師として樂吉左衞門(らくきちざえもん)がいます。
樂家初代の長次郎(ちょうじろう)は、千利休の好んだ茶碗を作り出しました。長次郎の死後、千利休と親交のあった豊臣秀吉から「樂」の黄金印を与えられたことから、樂家が始まりました。2代目の時から吉左衛門を名乗ります。現在は16代目が当代を務めています。
また、京都市にある樂家窯元に隣接して「樂美術館」があり、樂家の歴代作品を中心に、茶道工芸美術品、関係古文書など樂家に伝わった作品を中心に公開されています。

樂吉左衞門の他、主な茶碗師(陶芸家)として、江戸時代に金沢で始まった大樋焼の家元である大樋長左衛門(おおひちょうざえもん)や、江戸時代に江戸・浅草周辺で始まった今戸焼を代表する陶芸家である白井半七(しらいはんしち)などがあげられます。

茶碗師 樂吉左衛門の買取について →

釜師 [大西清右衛門]

釜師とは?

釜師(かまし)とは、茶道で使う道具の一つである茶釜を制作する鋳物師のことをいいます。茶道が普及し始めた室町時代末期頃から専門の職人が現れました。千利休が活躍した安土桃山時代には、京都の三条釜座で制作された「京釜」の創始者である西村道仁(にしむらどうにん)や、西村に師事し千利休の釜師となり「利休好み」の茶釜を制作した辻与次郎(辻與次郎、つじよじろう)などが知られています。

京都の三条では、平安時代末期頃から鋳物師が多く集まり「座(同業者の組合)」が形成されました。鎌倉時代から室町時代にかけて、茶の湯が普及してくるとともに、茶席で使う茶釜が盛んに作られるようになり「釜座(三条釜座)」と呼ばれるようになりました。

釜師 大西清右衛門(おおにし せいえもん)

三千家(表千家、裏千家、武者小路千家)が使う茶道具を制作している「千家十職」の釜師として大西清右衛門(おおにしせいえもん)がいます。大西家は、室町時代後期から京都で続く釜師の家です。三条釜座に居を構え、現在は16代目が当代を務めています。また、「大西清右衛門美術館」が併設され、歴代の大西清右衛門の作品を公開しています。

大西清右衛門の他、主な釜師として、人間国宝の角谷一圭(かくたにいっけい)をはじめ、釜の職人が多く生まれている角谷與斎(かくたによへい)、京都の釜師である吉羽與兵衛(よしはよへい)などがあげられます。

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塗師 [中村宗哲]

塗師とは?

塗師(ぬりし)とは、茶道で使う道具である棗(なつめ)や香合(こうごう)などに漆を塗る漆芸師のことをいいます。漆を使った技術は、日本では縄文時代から使われていました。平安時代以降、漆器の装飾として蒔絵が編み出されました。安土桃山時代に行われた南蛮貿易では、日本で作られた多くの漆器が輸出され、海外の人々を魅了しました。室町時代から安土桃山時代にかけて茶道が普及すると、さまざまな茶道具が作られていきました。中でも千利休が愛用した茶道具については「利休好み」とも呼ばれるようになりました。

塗師 中村宗哲(なかむら そうてつ)

塗師 中村宗哲(なかむら そうてつ)「千家十職」の塗師として中村宗哲(なかむらそうてつ)がいます。中村家は、豊臣秀吉の家臣の家柄でしたが、江戸幕府成立とともに、京都の武者小路に居を定めました。居を構えた近所に塗師の豪商の家がありました。そこには後に武者小路千家宗主となる一翁宗守(いちおうそうしゅ)が養子に入っていて、このことが縁となり、中村家は塗師となりました。
塗師となった当初は、大名の調度品などを制作していましたが、一翁宗守が「武者小路千家・官休庵」を創設したことで、茶道具の塗師になり、現在は13代目が当代を務めています。また、町家の形式で建てられた中村宗哲家住宅は、国の登録有形文化財に指定されています。

中村宗哲の他、主な塗師として、滋賀県で始まった漆工芸家である川端近左(かわばたきんさ)や、愛知県で始まった漆工芸家の村瀬治兵衛(むらせ じへい)などがあげられます。

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指物師 [駒沢利斎]

指物師とは?

指物師(さしものし)とは、茶道で使う道具である木製の道具の制作を行う職家のことをいいます。指物とは、のりや釘などを使わずに、木材を差し込みながら組み立てて完成させた家具や道具などのことです。茶道具としては、茶箱、炭台、行灯、屏風など多種多様な道具が該当し、江戸時代には指物師が制作する茶道具として166点あげられた記録もあります。指物にはいくつかの種類があり、平安時代から京都市で作られる京指物、江戸時代以降現在に至るまで東京23区の東側にある区(台東区や荒川区など)で作られる江戸指物、奈良時代の遣唐使が起源とされ、大阪府や奈良県などで作られる大阪唐木指物があります。

指物師 駒沢利斎(こまざわ りさい)

「千家十職」の指物師として駒沢利斎(こまざわりさい)がいます。駒沢家が指物を始めたのは江戸時代中期でした。千家との関わりは、千利休の孫にあたる千宗旦の頃からで、その後表千家から出入りの指物師として指名されました。以後、駒沢家で作られる指物はすべて「利休好み」の茶道具が作られることになりました。駒沢利斎は14代まで続きましたが、1977年(昭和52年)以降は空席の状態が続いています。

駒沢利斎の他、主な指物師として、初代が駒沢利斎に師事し現在4代目が当主の岩木秀斎(いわきしゅうさい)などがあげられます。

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金物師 [中川浄益]

金物師とは?

金物師(かなものし)とは、茶道で使う道具である金属製の道具の制作を行う職家のことをいいます。金属製の茶道具としては、花入、風炉、香合、水指、建水、蓋置などがあります。これらの茶道具は主に鉄や銅で作られています。中国から入ってきた当初の茶道具は、多くが金属製で、「唐物」として高級品として扱われます。

金物師 中川浄益(なかがわ じょうえき)

表千家 箱書き付 花入 中川浄益作「千家十職」の金物師として中川浄益(なかがわじょうえき)がいます。
中川家は、もともとは越後で甲冑や鎧を作っていました。千利休の注文によりやかんを作ったことを契機に、茶道具作りを始めました。以後金物師として、表千家や裏千家で使う茶道具を作り続けました。中川浄益は11代まで続きましたが、2008年(平成20年)以降は空席の状態が続いています。

中川浄益の他、主な指物師として、初代が豊臣秀吉の命で茶道用の火鉢を作ったことをきっかけに始まり、現在15代目が当代の金谷五良三郎(かなやごろうさぶろう)などがあげられます。

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袋師 [土田友湖]

袋師とは?

袋師(ふくろし)とは、茶道で使う道具である茶入袋(仕覆)や帛紗(ふくさ)などの袋物を制作する職家のことをいいます。仕覆とは、茶入や茶碗などの道具を入れる袋のことで仕服とも表します。帛紗は、茶器を拭いたり、茶道具の下に敷いたりする布のことで、服紗(袱紗)とも書きます。袋師はこれらをはじめ、茶道で使う布製の茶道具全般の制作を行なっています。

袋師 土田友湖(つちだ ゆうこ)

「千家十職」の袋師として土田友湖(つちだゆうこ)がいます。土田家は彦根藩井伊氏に仕えた家柄とされています。のちに武家から商家に変わり、西陣織仲買人となり、袋物の仕立ても合わせて行うようになりました。そして、表千家に引き立てられ、仕覆などを作るようになりました。土田家は、京都市中京区に仕事場を構え、現在は13代目が当代を務めています。

土田友湖の他、主な袋師として、初代が土田友湖の元で修行を重ねて独立し、現在3代目が当代の亀井昭済(かめいしょうさい)などがあげられます。

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表具師 [奥村吉兵衛]

表具師とは?

表具師(ひょうぐし)とは、絵画や書などを布や紙を使って保存するために掛け軸や巻物に仕立てることや、屏風や襖などの仕立てから修理を行う職家のことをいいます。最近は表装と表すことも多いです。第二次世界大戦以後は、職業訓練校が各地に作られて職人の育成にあたるとともに、国家資格として表装技能士が定められています。

表具師 奥村吉兵衛(おくむら きちべえ)

「千家十職」の表具師として奥村吉兵衛(おくむらきちべえ)がいます。奥村家は、近江国出身で、加賀藩前田家に仕えた家柄です。のちに京都で表具屋となります。のちに表千家に引き立てられました。奥村家は、京都市中京区に仕事場を構え、現在は12代目が当代を務めています。

現在、東京都台東区や京都市で作られている表具(江戸表具、京表具)は、伝統的工芸品の指定を受けています。

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一閑張細工師 [飛来一閑]

一閑張細工師とは?

一閑張細工師(いっかんばりさいくし)とは、器の表面に紙を重ね貼りして漆を塗る技法と、紙を重ね貼りして型をとる技法を合わせて「棗(なつめ)」や「香合(こうごう)」などの茶道具を制作する職家のことをいいます。一閑張の名前は、中国・明の時代に、日本に渡来した飛来一閑(ひきいっかん、ひらいいっかん)が伝え広めた技術とする説や、農民が農閑期に作っていたところからとする説もあります。一閑張は、地方によっては一貫の重さ(約3.75キログラム)にも耐えられるほど丈夫な物だから「一貫張」とも表されます。一閑張細工は、かつては食器や机などの日用品に使われてきました。現在は、高級料亭などで使われるお皿や、人形やお面などに一閑張の技術が用いられています。

一閑張細工師 飛来一閑(ひき いっかん)

「千家十職」の一閑張細工師として飛来一閑がいます。飛来家は中国・明にルーツがあります。日本に渡来したのち、千利休の孫にあたる千宗旦(せんそうたん)から、一閑張の小物の注文を受けるようになりました。その後、飛来家は表千家の御用細工師となりました。飛来家は、京都市上京区に居を構え、現在は16代目が当代を務めています。

飛来一閑の他、一閑張細工は、伝統的工芸品として各地で生産されています。千宗旦の頃、飛来家は、茶道具を作る飛来家と生活道具を作る泉王子家(せんおうしけ)に分かれています。泉王子家は京都市右京区で現在15代目が当代を務めています。また、滋賀県では近江一閑張、長野県では松本家具に一閑張の技術が応用されています。

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竹細工・柄杓師 [黒田正玄]

竹細工・柄杓師とは?

竹細工・柄杓師(たけざいく・ひしゃくし)とは、竹を加工したり、竹ひごを編み込んだりすることで、細工物や工芸品、玩具などを作る竹細工の職人の中で、茶道で使う柄杓などの竹細工製品を作る職家のことをいいます。竹細工師の仕事は、生育した竹の選別から始まります。竹細工に適した良質の竹を選び、磨き上げた技術を駆使して、優れた竹細工製品を完成させます。竹製の茶道具は、花入、茶杓、釜敷、蓋置、香合、水指や茶筅など多岐に渡ります。竹細工・柄杓師はこれらの茶道具を竹の選定から完成までの作業を行います。

竹細工・柄杓師 黒田正玄(くろだ しょうげん)

「千家十職」の竹細工・柄杓師として黒田正玄(くろだしょうげん)がいます。黒田家は、元々は武士の家柄で、豊臣秀吉の家臣である丹羽長重(にわながしげ)に仕えていました。しかし、関ヶ原の戦い以後、改易、浪人となったため、大津で竹細工職人になりました。その後、竹細工が評判になり、小堀遠州(こぼりえんしゅう)から注文を受けるようになり、茶人や江戸幕府とのつながり、そして三千家の御用達柄杓師となりました。黒田家は京都市上京区に仕事場を構え、現在は、14代目が当代を務めています。

竹細工は、全国各地で生産され、伝統的工芸品に指定されているものもあります。奈良県生駒市を中心に生産されている高山茶筅(たかやまちゃせん)や、全国一の真竹生産量を誇る大分県で別府市を中心に生産されている別府竹細工(べっぷたけざいく)などが知られています。

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土風炉・焼物師 [永樂善五郎]

土風炉・焼物師とは?

土風炉・焼物師(どふろ・やきものし)とは、土で作られた風炉や焼物を作る職家のことをいいます。風炉(ふろ)は、茶道で使う釜を火にかけてお湯を沸かすために使います。風炉は金属や土で作られることが多いです。

土風炉・焼物師 永樂善五郎(えいらく ぜんごろう)

皆具 永楽善五郎作「千家十職」の土風炉・焼物師として西村(永樂)善五郎(にしむら、えいらくぜんごろう)がいます。西村家は、奈良に住み春日大社で使われる様々な器を作っていました。武野紹鴎(たけのじょうおう)の依頼で土風炉を作るようになり、土風炉師を名乗りました。江戸時代の後半になると三千家に出入りするようになります。この頃から茶碗作りも手がけるようになり、西村姓から永樂姓に変わりました。永樂家は京都市東山区に仕事場を構え、現在は17代目が当代を務めています。

焼物(陶磁器)は、全国各地で生産され、その産地ごとに特色があります。主なものとして、生産量全国一を誇る岐阜県の美濃焼、茶席に昔から多く使われてきた京都市の京焼・清水焼、色彩豊かな絵が特徴の石川県の九谷焼などがあげられます。

土風炉・焼物師 永樂善五郎の買取について →