0120-11-7000 メールでのお問い合わせ

インフォメーション

2023年2月13日 茶道具

裏千家について

茶道には、さまざまな流派が存在します。中でも「三千家」と呼ばれる三つの流派(表千家・裏千家・武者小路千家)は、茶道の流派の中でもメジャーな流派として知られています。いずれの流派も千利休の孫である千宗旦(せんのそうたん)の子どもたちがつくっています。
その中で四男の宗室(そうしつ)は、宗旦が隠居生活を送っていた今日庵を宗旦が亡くなってから受け継いだことところから「裏千家」の歴史が始まります。

「裏千家」の歴史と特徴

裏千家の名前は、宗旦の三男である宗左(そうさ)が引き継いだ宗旦の屋敷「不審庵」から見ると、今日庵は裏通りにあることが由来とされています。

裏千家 掛軸 家元自筆裏千家の家元は、裏千家創始者である「宗室」の称号を受け継いできました。江戸時代には加賀藩前田家や松山藩久松家、徳島藩蜂須賀家に仕え、茶の湯の文化が町人の間にも広がるよう努めました。
明治時代になると、外国人を迎えるための作法である立礼式を編み出すなど、茶道の近代化に努めました。また、教本や機関誌を出版したり、女学校教育の中に茶道を取り入れてもらうように努めたり、指導方法を統一するための講習会を開くなど、裏千家の組織化にも取り組みました。戦後は、学校での活動に茶道の導入を働きかけたり、海外への普及に取り組んだりするなど、茶道の普及に力を入れています。

裏千家は、開かれた流派であるといわれます。広く茶道を広めていこうとする精神を強く持ち、初心者がはじめやすいよう工夫されています。その他にも「薄茶をよく泡立てる」「正座するとき、膝は男女とも開けて座る」といった特徴があります。

裏千家の買取について →