小林清親について
小林清親(こばやし きよちか)は、将軍家直属の武士であり明治時代を代表する浮世絵師、版画家です。洋画の遠近法や陰影法を取り入れた新しい技法の「光線画」を生み出したことでも有名です。
1847年に幕臣の九人兄弟の末子として生まれた小林清親は、幼い頃から絵が好きで父の部下から錦絵を買ってもらい、喜んだという話があります。1862年に父・茂兵衛が亡くなり、母親と姉の3人だけで暮らしていましたが、他の姉は他の家に嫁いだため、将軍家直属の御家人として15歳で家督を継ぎます。1865年には鳥羽伏見の戦いにも参加し、幕府軍が新政府軍に敗れたあとに発生した上野戦争にも参加しており幕府軍側で戦いました。
27歳の時に母が亡くなったのがきっかけで東京に戻り本格的に画業での活動を開始します。
特定の師につくことはなく、河鍋暁斎、柴田是真、下岡蓮杖、チャールズ・ワーグマンなどとの交流も知られており、画法を学んだといわれています。
従来の浮世絵に光と陰影、遠近法を取り入れた「光線画」技法にて描かれた作品で1876年に浮世絵師として正式にデビューし、その後「東京名所図」を生み出し人気を得ます。
1881年に團團珍聞に入社してからは、社会風刺漫画「ポンチ絵」を描き始め錦絵ポンチシリーズ「清親ぽんち」などを描きます。團團珍聞を退社した後は、「清親画塾」を開き「淡墨絵独習法」、「毛鉛画独稽古」などの教本を出版しています。
小林清親は月岡芳年や河鍋暁斎などとともに「最後の浮世絵師」と呼ばれ、代表作品には、「武蔵百景之内」全34図や「東京名所図」シリーズなどが挙げられます。
略歴
1847年 | 江戸にて幕臣の九人兄弟の末子として生まれる |
1862年 | 父の死去に伴い家督を継ぐ |
1865年 | 将軍家茂の上洛に従い、大坂に滞在する |
1868年 | 鳥羽伏見の戦に幕臣として参加 |
1874年 | 江戸に戻り、画学の道へ |
1876年 | 「東京江戸橋之真景」「東京五大橋之一両国真景」を版行。浮世絵師として正式にデビュー |
1876年 | 「東京名所図」シリーズを版行 |
1881年 | 團團珍聞に入社 |
1894年 | 團團珍聞を退社し、清親画塾を開く |
1900年 | 二六新報に入社し、挿絵を描く |
1908年 | 東京美術倶楽部で千画会を行う |
1915年 | 死去。享年68歳 |