駒井哲郎について
大正時代から昭和初期にかけて活躍した芸術家の1人として駒井哲郎(こまい てつろう)がいます。彼は、版画家として有名で銅版画やエッチング等の制作を行っていました。
駒井哲郎は、1920年の6月14日に東京都中央区に製氷業者の子として生まれ、1933年に慶応幼稚舎に入りその後慶應義塾大学の附属高校に進学しています。晩年は、東京芸術大学の教授になるなど非常に深い関わりがあった大学の1つかもしれません。
慶應義塾普通部在学中に、エッチング研究所の西田武雄に銅版画の技法を学びます。その際に、雑誌に載っていたジャン=フランソワ・ミレーの版画を見てエッチング技法の版画にはまったことがきっかけでエッチング技法を学び始めます。
このことがきっかけで生涯、主にエッチング技法での作品を制作することになります。エッチング以外には、色彩版画や油絵などの作品にも力を入れていましたが、多くはエッチングの制作が中心です。
駒井哲郎の作品は、モノクロームの世界の中で自己の内側や幻想、夢などを表現した抽象的・幻想的な作品が多いです。
1951年には、サンパウロ・ビエンナーレ展に出品した『つかの間の幻影』が日本人賞を受賞しました。翌年のスイスのルガノ国際版画ビエンナーレでは国際次賞を受賞するなど国内外で活躍しました。それ以外でも、様々な展覧会でいくつかの賞を受賞しています。
略歴
1920年 | 東京都中央区に製氷業者の子として生まれる |
1933年 | 慶応幼稚舎に入る |
1935年 | 慶應義塾普通部在学中に、西田武雄に銅版画の技法を学び始める |
1938年 | 慶應義塾普通部を卒業し、東京美術学校(現・東京藝術大学)油画科に入学 |
1942年 | 東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業 |
1948年 | 日本版画協会展に銅版画を初出品して受賞 |
1951年 | 『束の間の幻影』がサンパウロ・ビエンナーレ展に出品し受賞 |
1952年 | スイスのルガノ国際版画ビエンナーレで受賞 |
1953年 | 浜口陽三らと日本銅版画家協会を設立 |
1954年 | 資生堂画廊で初の個展を開催 |
1954年 | 渡仏 |
1959年 | 日本版画協会で受賞 |
1959年 | 日本国際美術展でブリヂストン美術館賞を受賞 |
1963年 | 東京藝術大学講師となる |
1971年 | 同・助教授、翌年教授に就任 |
1976年 | 舌がんのため逝去。享年56歳 |