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取扱作家

圓鍔勝三(えんつば かつぞう)

1905年-2003年

買取できる品目

圓鍔勝三について

圓鍔勝三(えんつば かつぞう)は、昭和時代に活躍した広島県出身の木彫を中心に作品を制作した彫刻家で、文化功労者であり文化勲章を受章しています。

勝三は、16歳で彫刻家を目指し京都にいき、その後23歳で上京して彫刻家の澤田政廣に師事しました。日本美術学校彫刻科在学中の第11回帝展に木彫作品「星陽」を出品し初入選を果たします。その後もいくつもの作品で受賞し、昭和40年の第8回日展では、木彫作品「旅情」が文部大臣賞と日本芸術院賞を受賞し正統木彫家協会の一員となっています。

木彫作品が有名な圓鍔勝三ですが、ブロンズや銅板、ステンレスなども素材として用いて木と融合させた新たな彫刻芸術を制作するなど世間に新たな芸術の可能性を提唱しました。勝三のモチーフは様々であり、東京都大田区の「池上本門寺」にある木彫「仁王像」やキツネや馬などの動物を表現した作品も見られます。38歳のときには、中村直人、古賀忠雄、木下繁氏等と4人で北海道の炭鉱推進隊員として激励彫刻を制作しました。

圓鍔勝三の作品は平和や友好・友情などの強い願いを我々に訴えかけてくるようなメッセージを感じ取ることができます。昭和51年には芸術における平和を願う功績や、作品の素晴らしさが認められ勲三等瑞宝章受章しています。昭和63年には文化勲章も受章し、日本の文化芸術に圓鍔勝三が大きく貢献してきたことがうかがい知れます。

平成5年に広島県に圓鍔記念公園・記念館開館しており、多くの人が直に芸術作品を鑑賞できるようになっています。

略歴

1905年 広島県御調郡河内町に生まれる
1921年 河内尋常高等小学校高等科を卒業し京都へ行く
1926年 京都市立商工専修学校彫刻科・デッサン科に入学
1926年 関西美術院に入る
1928年 上京し、日本美術学校彫刻科へ入学
1930年 第11回帝展に「星陽」を出品し初入選
1931年 第12回帝展に「みのり」を出品し再び入選
1932年 第3回文展に「初夏」を出品し特選を受賞
1933年 日本美術学校卒業後、澤田正廣先生に師事
1939年 第3回新文展に木彫「初夏」を出品し特選を受賞
1941年 澤田政廣・三木宗策の正統木彫家協会に参加して会員となる
1943年 北海道の炭鉱推進隊員として激励彫刻を制作
1946年 第2回日展で木彫「砂浜」を出品し特選を受賞
1947年 多摩美術学校(現多摩美術大学)助教授となる
1947年 第3回日展に木彫「しろうさぎ」を出品し、特選受賞
1950年 多摩美術短期大学教授に就任
1950年 第6回日展に木彫「土器を持つ女」を出品して特選受賞
1951年 設立された日本陶彫会に参加
1951年 日展審査員となる
1952年 日本彫塑会会員となる
1953年 多摩美術大学教授となる
1957年 木彫「幻想」を出品して川合玉堂賞を受賞
1960年 名前を勝三に改名
1962年 日展評議員に就任
1965年 第8回日展に木彫「旅情」出品し文部大臣賞
1966年 第8回日展出品作「旅情」が日本芸術院賞を受賞
1968年 日本美術家連盟委員に就任
1968年 日本彫塑家協会委員長に就任
1969年 日展理事に就任
1970年 日本芸術院会員に就任
1971年 日展常務理事に就任。紺綬褒章を受章
1976年 勲三等瑞宝章を受章
1980年 日本彫刻会理事長に就任
1981年 日展顧問に就任
1982年 文化功労者
1988年 文化勲章を受章
1989年 自伝「わが人生」を出版
1993年 伊勢神宮に「神馬」を奉納
1997年 自伝「続・わが人生」を出版
2003年 鬱血性心不全のため死去。享年99歳

関連作家

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