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取扱作家

後藤一乗(ごとう いちじょう)

1791年-1876年

買取できる品目

後藤一乗について

後藤一乗(ごとう いちじょう)は、江戸末期から明治にかけて活躍した装剣金工家です。第13代将軍「徳川家定」にお目見えした金工家としても知られています。

後藤一乗は、1791年に京都で生まれ、1800年頃に後藤八郎兵衛謙乗の養子になりました。養子となった後藤家は装剣金工家の名家と知られていて11歳の頃から半左衛門亀乗に師事し金工技術を学び、基礎を固めていきます。

1805年に義父が死去すると15歳で八郎兵衛家の六代目当主になり、文政年間初め頃に光代と改名しています。1824年には光格天皇佩用の正宗の刀装具を制作し、この頃から一乗と名乗り始めました。

1851年に江戸幕府の招きにより江戸へと下り、10年ほど幕府の依頼で刀装具を制作し1855年には第13代将軍徳川家定にお目見えします。その後朝廷の命で京都に戻り孝明天皇の刀装具を制作すると、1863年6月8日には法眼に叙されました。1866年から幕府の御用は子供の光伸に譲ると一乗制作所を経営し、優れた弟子を育成し明治9年、廃刀令と同じ年に京都で死去しました。

後藤一乗の作風は、風景的・絵画的な文様表現で新境地を開き、特に朝廷から依頼された刀装具は武家と公家文化が融合した豪華で格式高い作風と評価されています。また、後藤家では金と赤銅以外の地金を用いた制作を禁止していたものの、鉄地の鍔も制作しています。ただ、後藤一乗が制作した鉄地の鍔は別号を用いていました。

後藤一乗が育成した弟子からは著名な装剣金工家も多く、その影響は後世にも広く受け継がれています。

略歴

1791年 京都の後藤家の分家、後藤七郎右衛門家4代目重乗の次男として生まれる
1799年 分家、後藤八郎兵衛謙乗の養子となる
1801年 半左衛門亀乗に師事し金工技術を学ぶ
1805年 15歳で八郎兵衛家第6代目当主となり、光貨(みつたか)と名乗る
1811年 光行(みつゆき)に改名
1820年 光代(みつよ)に改名
1824年 光格天皇の刀装具を制作。法橋の位に叙せられ、一乗を名乗り始める
1851年 江戸幕府の招きで江戸へ下り刀装具を制作
1855年 第13代将軍「徳川家定」にお目見えする栄誉を賜る
1862年 孝明天皇の御剣金具を制作
1863年 法眼の位に叙せられる
1876年 死去。享年86歳

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