池田泰真について
池田泰真(いけだ たいしん)は幕末明治に活躍した漆工家です。柴田是真の一番弟子として有名で日本美術協会美術展覧会の審査員も務めています。
江戸赤坂で生まれた池田泰真は、11歳の頃より蒔絵師の柴田是真に蒔絵、絵画を学び、約25年内弟子として是真の下、工房で働きます。その後35歳で独立し浅草榊町に移住します。独立後は、袋物商「丸利」や「坂倉」などの注文を受け印籠・煙管筒などを制作します。
その後、1873年のウィーン万国博覧会に出品した蒔絵額が進歩賞牌を受賞、1877年には第1回内国勧業博覧会で「蒔絵額(紫式部ノ図)」が花紋賞を受賞、1893年のシカゴ万国博に出品するなど国内外で活躍します。1890年には日本漆工会の発足に携わり、日本美術協会美術展覧会審査員、帝室技芸員などを務め上げました。
1891年、師匠である柴田是真が亡くなると、池田泰真が漆工界の第一人者となります。また、池田泰真は数多くの弟子を指導し輩出しました。東京日本橋の薬研堀で育成していたことからその一派は「薬研堀派」と称されました。
略歴
1825年 | 三河国西尾藩士・池田新五郎の第5子として、江戸赤坂に生まれる |
1835年 | 蒔絵師「柴田是真」に入門 |
1850年 | 鶴岡八幡宮の御神宝・十二手箱の修理に携わる |
1859年 | 独立し浅草榊町に移住 |
1873年 | ウィーン万国博覧会に出品した蒔絵額が進歩賞牌を受賞 |
1877年 | 第1回内国勧業博覧会に出品した「蒔絵額(紫式部ノ図)」が花紋賞を受賞 |
1890年 | 日本漆工会の発足に関わる |
1891年 | 日本美術協会美術展覧会審査員 |
1893年 | シカゴ万国博に「江之島蒔絵額」を出品 |
1896年 | 帝室技芸員となる |
1903年 | 死去。享年79歳 |