栗山文次郎について
栗山文次郎(くりやま ぶんじろう)は1887年生まれた染色家です。紫根・茜染めの伝承者であり、無形文化財の保持者(人間国宝)としても広く知られています。
1887年、秋田谷という屋号で長く紫根染をする家に生まれ、父の死去にともない1903年に呉服商を継ぎましたが、古代染めが途絶えることを嘆いて復興に尽力しました。
しかし化学染料の品質向上と普及によって、1924年に倒産を余儀なくされます。事業の規模を小さくすること、郷土の後援を受けることで小規模ながら製作を続けます。経営面では苦しんだものの、その染色技術は高く評価され伊勢神宮遷宮式で使用する御用染物の命を受けたこともあります。
1944年には商工大臣より技術保存資格者の認定を受けました。商工大臣とはかつて存在した商工省の大臣のことです。商工省は1949年の国家行政組織の再編に伴い、通商産業省になりました。そして1953年には無形文化財に指定されます。これはいわゆる人間国宝のことであり、栗山文次郎の技術を歴史上あるいは芸術上価値が高いものとして国が認めたことを意味します。
1964年には業務に励み、他の人の模範となる人に授与される黄綬褒章を受けました。翌年6月に脳軟化症でこの世を去りました。
栗山文次郎が伝承した紫紺染も茜染めも山や野に生える草や根を原料とする染め物です。古代染めとも言われ、日本の各地で行われていた記録が残っています。現在も技術が伝わっているものは珍しく、東北地方の一部に限られます。天然の紫根や茜も珍しく、原料の入手から難しい技法となっています。
略歴
1887年 | 呉服商の長男として秋田県花輪に生まれる |
1944年 | 商工大臣より「技術保存資格者」と指定される |
1953年 | 重要無形文化財保持者(人間国宝)の指定を受ける |
1964年 | 黄綬褒章を受賞 |
1965年 | 勲六等瑞宝章を受章 |
1965年 | 死去。享年77歳 |