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取扱作家

宮本理三郎(みやもと りさぶろう)

1904年-1998年

買取できる品目

宮本理三郎について

宮本理三郎(みやもと りさぶろう)は、大正から昭和時代に活躍した彫刻家の一人です。蛙や鳥などの動物像だけでなく、「平櫛先生像」などの人物像や仏像彫刻でも有名な彫刻家です。

若くして芸術に目覚めて京都にのぼり、三谷光月のもとで基本を学んだ後、東京で佐藤朝山に師事します。1929年の第14回日本美術院展に出品した「赤蛙」が初入選し広く知られるようになります。その後も日本美術院展には毎年作品を出品し入選を続けます。

宮本理三郎は、初期の頃アヒルや百舌などをモチーフにした小動物像を中心に制作しており、日本美術院展に出品する作品も動物をモチーフにした作品が主でした。1938年の第25回日本美術院展で初めて人物像「母の像」が入選すると、「幼児」「平櫛先生像」「少年座像」など数々の人物像を出品するようになり、人物像でも入選を受賞し続けます。

終戦後の1948年には、上野松坂屋での個展を見事に成功させ、かつての拠点から離れながらも実績を残していきます。この頃、日本の彫刻文化は転換期を迎えており、彼もそれに適応する形を取りつつも、平櫛田中らのテイストを守り続けてきました。

宮本理三郎が1970年代を前にして仏像彫刻に力を入れ始めます。不動明王像をはじめとして、深川法乗院閻魔堂の閻魔大王像など現代でも残り続ける作品を次々と生み出しました。木彫の特性を見事に捉えた制作は後世の彫刻家たちの手本にもなっています。

1998年に亡くなるまでに残した作品の数々は、生き写しと評され、宮本理三郎が作り出す彫刻の眼光の鋭さや醸し出される優しさはリアリティに溢れています。その品質と技術力の高さは現代の彫刻ファンを魅了しています。

略歴

1904年 大分県に生まれる
1924年 三谷光月に学ぶ
1925年 上京し、佐藤朝山の門下生となる
1929年 第14回日本美術院展に出品した「赤蛙」が初入選
1933年 第20回日本美術院展に出品した「こち」が入選
1934年 日本美術院友に推挙される
1937年 第1回文展に出品した「隼」「母の像」が入選
1948年 上野松坂屋にて個展を開催
1967年 日本橋三越にて二人展を開催
1977年 深川法乗院閻魔堂に閻魔大王を納める
1992年 日本橋三越にて米寿記念の個展を開催
1998年 死去。享年94歳

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