茶道の流派とは?
「茶道って、点ててもらったお茶を飲むだけじゃないの?」「茶道って、みんな一緒じゃないの?」
こんな疑問を持ったことはありませんか?確かに、屋外でお茶を点てて振る舞うイベントやお店でお抹茶を注文すると、お茶を飲んでおしまいですね。
しかし、茶道には鎌倉時代からの長い歴史があり、長い歴史の中で多くの流派が誕生しています。ここでは、茶道の流派について紹介します。
流派とは?
茶道の流派の話の前に、そもそも、流派とはどのようなものなのでしょうか?
流派とは、ある特定のものについてそれぞれ異なる流儀や考え方を受け継いでいるグループのことを指します。完成された技術や技能を、家元や宗家などを頂点にして、彼らから学び、教え広めることを許された門弟たちによって流派は形成されています。
流派は、能や舞踊などの芸能、剣術などの日本武術などの分野に多く見られます。そして、茶道にも流派は存在しています。
茶道の流派
茶道の主な流派には、堺の豪商だった武野紹鴎(たけのじょうおう)の門人や千利休の直弟子を創始者とする流派、千利休の子である千道安(せんのどうあん)の流れを汲む流派、後妻の連れ子である千少庵(せんのしょうあん)の流れをくむ流派、明治時代以降に新しく誕生した流派などがあげられます。
中でも「三千家(さんせんけ)」といって、千少庵の流れをくむ、表千家・裏千家・武者小路千家が、茶道における有力な流派として知られています。
それぞれの流派は、茶道具や作法などに違いが見られます。流派ごとの違いを楽しんでみてはいかがでしょうか。
織部流
織部流(おりべりゅう)は、千利休の弟子の中でも特に優れた弟子(利休七哲)の一人である古田織部(ふるたおりべ)に始まる流派です。
古田織部は千利休が亡くなった後、「天下一」とも称された茶人です。豊臣秀吉、徳川家康などの武将と茶の湯を通じて関係を深めます。「織部好み」ともいわれる茶道具などで独自の世界観を確立させました。織部自身は豊臣家に内通している疑いをかけられ、徳川家康の命で自刃させられますが、織部亡き後は、「織部流」として幕府や諸大名などに伝わりました。平成時代には、これまで続いてきた所作などを、古田織部が確立させた頃のものに修正しました。
現在、織部流は「織部流音知会」と派生した「式正織部流」「織部流扶桑派」の3つが並立しています。このうち織部流音知会には京都市に稽古場「太閤山荘」や関連施設「古田織部美術館」があります。
織部流の特徴としては、「道具を畳に直接置かない」「呑み回しをしない」「茶会の前には手ぬぐいなどで手を清めて清潔を重視する」などがあげられます。
遠州流
遠州流(えんしゅうりゅう)は、千利休の弟子の古田織部(ふるたおりべ)に学んだ小堀遠州(こぼりえんしゅう)によって始められた流派です。
小堀遠州(小堀政一)は、近江や伏見で奉行を務めた大名で、茶の湯だけでなく庭園造営、華道にも精通していました。遠州の茶の湯は「きれいさび」とも称されています。茶道具に和歌や古典を題材にした名前をつけ、のちに「中興名物」と呼ばれるようになりました。遠州が亡くなった後、一時期断絶しましたがのちに復活し、江戸幕府最後の将軍である徳川慶喜をはじめ大名や旗本、公家などに幅広く茶道を広めました。
現在、遠州流は「遠州流茶道」と派生した「小堀遠州流」「大和遠州流」の3つが並立しています。このうち遠州流茶道は東京都に本部があり「遠州流茶道連盟」を結成しています。
遠州流の特徴としては、「きれいさび」と称され、「わび・さび」の精神に美しさや明るさ、豊かさを加えたのが特徴です。また、小堀遠州が手がけた茶室や造園が各地に残されています。
藪内流
藪内流(やぶのうちりゅう)は、千利休の弟子の古田織部(ふるたおりべ)の妹と結婚した藪内剣仲(やぶのうちけんちゅう)によって始められた流派です。
藪内剣仲は、武野紹鴎の門下で千利休とも親交が深かったことで知られます。剣仲が亡くなった後は、西本願寺の茶道師家となり、手厚い庇護を受けます。明治時代以降は、困難な時代を乗り越えながら近代化を進めます。1976年(昭和51年)には、藪内流の茶室「燕庵(えんなん)」が国の重要文化財の指定を受けました。近年は、門人組織「竹風会」を設立するなど組織の近代化を進めつつ、アメリカやフランスなどで国際親善にも努めています。また、テレビ番組や著書を通じての普及活動にも取り組んでいます。
現在、藪内流は京都市に家元があります。
藪内流の特徴としては、「正直・清浄・礼話・質朴」という言葉に表されるように、千利休や古田織部の頃の流儀を大切にしています。
江戸千家流
江戸千家(えどせんけ)は、表千家7代家元千宗左(せんそうさ)の内弟子である川上不白(かわかみふはく)によって始められた流派です。
千宗左とともに江戸で千家の茶道を広めるべく共に活動をしました。そして、田沼意次や島津氏や毛利氏などの諸大名と親交を深めると、独立して江戸千家を開きました。川上不白と千宗左、裏千家8代家元の一燈宗室(いっとうそうしつ)は、協力して新しい茶道の稽古法「七事式(しちじしき)」を考案し、それぞれの流派において「中興の祖」とされています。明治時代以降は、時代の流れに合わせて、茶道の普及に努めています。
現在、江戸千家は東京都台東区に家元があります。江戸千家から独立した流派として「江戸千家宗家蓮華庵」「表千家不白流」があります。
江戸千家の特徴としては、「平常心是茶」という言葉に表されるように、千利休からの原理原則を大切にしながら、時代に合わせて変化しています。
石州流
石州流(せきしゅうりゅう)は、千利休の長男の千道安(せんのどうあん)や弟子の古田織部(ふるたおりべ)に学んでいた桑山貞晴(くわやまさだはる)に師事した片桐貞昌(かたぎりさだまさ)によって始められた流派です。
片桐貞昌は大和小泉藩の大名でしたが、小堀遠州などの茶人とも親交を深めていました。のちに将軍家の茶道指南役となり、「幕府の茶道」として広がっていきました。石州流は創設以後いくつもの流派が創設されて現在に至ります。
現在、石州流の主な流派として「石州流茶道宗家」と「茶道石州流宗家」があげられ、いずれも奈良県を拠点に活動しています。
また、仙台藩伊達家に仕えた清水快閑が始めた「石州清水流」を始め全国各地に石州流と関連のあるグループがあります。
上田宗箇流
上田宗箇流(うえだそうこりゅう)は、千利休の弟子の古田織部(ふるたおりべ)に学んだ上田宗箇(うえだそうこ)によって始められた流派です。
上田宗箇(上田重安)は豊臣秀吉配下の武将として知られ、関ヶ原の戦いでは西軍についたために、戦いの後領地を没収されてしまいます。その後、徳島藩蜂須賀家や広島藩浅野家に仕えました。また、茶人や造園家としても知られています。
茶人としての上田宗箇は、千利休や古田織部に学び、上田宗箇流を創設します。以後、上田宗箇流は、藩の要職を務めた上田家に仕えた野村家と中村家が「上田家茶事預かり師範」として、上田宗箇流を長きにわたって伝えてきました。昭和30年代以降は、家元が上田宗箇流の指導・普及にあたっています。
現在、上田宗箇流は広島市を拠点に活動しています。また、テレビ出演や海外への普及活動、画家などとのコラボレーションなど活動の幅を広げています。
上田宗箇流の特徴としては、「男性と女性で点前の所作に違いがある」「茶人の正月ともいわれる炉開きでは、お汁粉が振る舞われる」などがあげられます。
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