神奈川県川崎市と絵画の歴史
川崎市は、神奈川県の北東部に位置し、横浜市に次いで人口が多く政令指定都市です。川崎区、幸区、中原区、高津区、多摩区、宮前区、麻生区の7つの行政区で構成されます。市の北側には多摩川が西から東に流れ、多摩川を挟んで東京都と、市の南側は横浜市と接しています。市の東側は東京湾に面し、工業地帯が広がっています。川崎の地名は、多摩川の河口に土や砂が溜まった場所(デルタ)に、海からの砂が溜まり、海側に出る地形が作られやすくなります。このような地形を「崎」と呼ぶことが多くあり、多摩川の河口のデルタ、という意味で「川崎」になった、といわれます。
古代は、市の西側の丘陵地帯に人々が多く定住していました。平安時代後期に川崎大師(平間寺)が建立され、門前町が形成されます。江戸時代になると、農業生産が活発になります。また、東海道、中原街道、大山街道が市内を通り、多摩川を渡るための渡しが整備され、宿場町として繁栄します。明治時代以降になると、川崎駅周辺から都市化が急速に進行します。1924年(大正13年)に川崎市が誕生します。臨海部の工業化も進み、京浜工業地帯が形成されます。戦後は、東京大都市圏のベッドタウンとして人口が増え、1972年(昭和47年)に政令指定都市に移行し、現在に至ります。
川崎市にゆかりのある作家として「岡本太郎」を紹介します。岡本太郎は、昭和から平成時代にかけて活躍した芸術家です。現在の高津区で生まれた岡本は、東京美術学校(現在の東京藝術大学)に入学しますが、父一平が新聞記者としてロンドン軍縮会議の取材をすることになり、これに同行する形で、一家でヨーロッパに渡ります。のちにパリ大学で哲学や心理学など学びを深め、帰国します。戦後は都内で創作活動を続けながら、多くの作品を制作しました。1970年(昭和45年)に大阪で開かれた日本万国博覧会のテーマ展示館『太陽の塔』、1985年(昭和60年)に茨城県で開催された国際科学技術博覧会(つくば万博)のシンボルモニュメント『未来を視る』、東京都渋谷区にあった「こどもの城」のシンボルモニュメント『こどもの樹』など、数多くの作品を手掛けました。東京都渋谷区にある渋谷マークシティ内の連絡通路には、横幅が30メートルにも及ぶ大作『明日の神話』が設置されています。多摩区には「川崎市岡本太郎美術館」があり、岡本太郎自身が川崎市に寄贈した約1800点の作品を所蔵・展示しています。
川崎市内にある他の美術館として、公益社団法人川崎・砂子の里資料館が運営する「川崎浮世絵ギャラリー」(川崎区)もあり、川崎にゆかりのある浮世絵を中心に所蔵しています。
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【川崎市の絵画買取対象作品】
日本画、洋画、現代アート、リトグラフ、掛け軸、浮世絵、版画、仏画、山水画、花鳥画、木版画、屏風、書、襖絵、ガラス絵、板絵、エッチング、シルクスクリーン、色紙、短冊、古文書、和本、手紙、葉書、古書、地図、肉筆、古筆、画賛、版画、油絵、水彩画、中国絵画、中国掛け軸、朝鮮絵画、その他希少価値が高い歴史的な絵画作品、その他有名作家作品
川崎市での強化買取中の絵画作家
五木田智央
1969年東京都世田谷区に生まれ、ポスター制作などで人気を博すファインアートな気質を持つ画家として、卓越したドローイングおよび版画技術を発揮しています。五木田作品には著名なコレクターが多く、ミュージシャンのテイ・トウワ、アーティストのKAWS、起業家の前澤友作と豪華な顔ぶれも。こうした世界的な人気も手伝ってか、2019年のオークションでは約1億円の落札価格を記録し、自身のオークションレコードを更新しています。
荒木寛畝
荒木寛畝は、幕末・明治に活躍した絵師(日本画家)・洋画家です。1831年に現在の東京都港区で増上寺の行者を務めていた家庭の4男として生まれます。奉公が当たり前の幕末時代に、教養の一環として絵を学ばせたのが始まりです。修業時代の作風は主に、人物画を得意としていました。土佐藩の御用絵師の試験の際には、楊貴妃、西施、趙飛燕、王昭君を画題に美人画を描き認められています。明治時代に入り、博覧会でみた油彩画に感銘をいだき南画家・洋風画家に師事し、洋画技法を学びますが洋画家時代は短いものでした。
1884年に日本画家に復帰し1893年には、中学・高校で教鞭をとり1900年には、帝室技芸員を任されます。国内外にて出品を重ね数々の受賞歴を誇ります。その後、画塾を開き後進の育成にも力を入れ、門人には「池上 秀畝」などが名を連ねます。
代表作として、パリ万博博覧会・セントルイス博覧会などで受賞した作品「孔雀図」が挙げられます。他にも、洋画技法を取入れた花鳥画作品があります。