茶道具と埼玉県川口市の歴史
人口増加が注目される埼玉県川口市は、鋳物で発展してきた歴史があります。川口鋳物の発祥は1000年以上前とする説もあるなか、現代にいたる産業化のベースが築かれたのは江戸時代中期以降。江戸初期には本格的に鋳物製造が川口で始まったとされ、100年がかりで技術の向上が進んだといわれています。もっとも江戸から近かったことで、確実な技術を余すことなく信頼へと変えられた川口鋳物。都境を流れる荒川で豊富に採取できた砂や粘土といった原料だけでなく、舟運を賢く活用できたことも与信につながったと伝えられています。
そして躍進を遂げたのが、富国強兵を掲げた明治年間です。特に日露戦争での勝利後は軍需が跳ね上がり、第一次世界大戦でも弾みをつけました。明治末期の川口市内には、約150軒の鋳物工場があったといわれています。終戦後は一時的に稼働が激減したものの、朝鮮戦争の特需によって極度に陥ることなくV字回復を遂げ、この時期に工場数や生産額でピークを記録。当時の工場数は約700軒、現在の川口駅を中心とする市南部に密集し、高度経済成長期やバブル崩壊、そして平成へと向かっていきました。
平成中期以降はマンションの建設による工場閉鎖が増え始め、約15年後の令和に入る頃には激減状態に。令和5年の川口市における、鋳物工場の総数は約100軒といわれています。伝統産業が人口増加のしわ寄せを受けた、川口市の側面と言えるでしょう。そんな川口市の茶道具に関しては、本町で営む「増幸」が高名です。また安行地区に鎮座する密蔵院も茶道具のコレクションに定評があり、茶道教室も人気を博します。そのほか川口市末広地区の旧田中家住宅では、茶会を中心とする日本文化にちなんだイベント開催が盛んです。
川口市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
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川口市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
川口市での強化買取中の茶道具作家
織田長益(有楽斎)
織田長益(おだ ながます)は織田信長の実弟であり、武将として活躍しながらも茶道に傾倒し、織田有楽斎として知られるようになりました。本能寺の変後、明智軍との戦いを経て岐阜に逃れ、その後は織田信雄に仕え、豊臣秀吉の御伽衆として仕えたのち、剃髪して有楽と号しています。
茶道では千利休に学び、武家茶道「有楽流」を確立します。京都の建仁寺に建てた茶室如庵は国宝に指定され、現在は犬山城の庭園・有楽苑に移設されています。晩年は京都で茶道と趣味に専念しました。また、織田有楽斎が自作した竹茶杓は、根津美術館に今も貯蔵されています。
樂吉左衛門
樂吉左衛門(らく きちざえもん)は、安土桃山時代から450年以上続いている樂焼茶碗の当代が襲名する名称です。樂家は茶碗づくりの名門で、千家十職の一つです。樂茶碗は代々、一子相伝のスタイルを継承し、「手づくね」といわれる制法を用います。
十五代目(本名:光博)は2019年に代替りし、「直入」と名乗りました。直入の作品は「樂美術館」で展示され、その他にも「金剛能楽堂」「頴川美術館」「佐川美術館」でも樂焼に触れることができます。特に「佐川美術館」は吉左衛門を含む3人の名前が付いた美術館で、日本画家や彫刻家の作品が展示されています。直入は陶芸家だけでなく、建築家としても才能を発揮し、数々の建築賞を受賞しました。2018年、彼と漫画家の松井優征の対談も話題となりました。