茶道具と神奈川県相模原市の歴史
相模原市は、神奈川県の北部に位置する政令指定都市です。相模原の地名の由来は諸説あり、「箱根から見下ろす坂見(さかみ)」「平地が少ないことから」などあります。
室町時代から安土桃山時代にかけては北条氏の支配下にありました。江戸時代になると、相模原は幕府直轄領や旗本の支配地になるなど、統一した支配者がいない状態でしたが、豪農たちによって台地で新田開発が進められ、養蚕の生産もさかんになっていきました。
茶道で使われる茶入や茶碗を包む袋の結び紐として組紐が使われます。市内北部の津久井地区では、養蚕の技術を応用して大正時代から「津久井のくみひも」として生産されています。津久井のくみひもは、人形や結び物、仏具などをはじめ、衣料用、手芸用など多様な目的に合わせて製造されています。
市内北部の城山地区や藤野地区では茶葉の栽培が行われています。中でも藤野地区では、化学肥料や除草剤を使わずに栽培し、豊かな香りと強いコクが特徴の「佐野川茶」が生産されています。また、かつて養蚕が盛んで、市内各所にある桑の葉を使った桑茶の生産も行われています。
相模原市南区には、「待光庵」という名前の茶室があります。1989年(平成元年)に竣工した茶室で、裏千家の15代家元である鵬雲斉千玄室大宗匠より「待光庵」の号を授けられたことで知られます。待光庵では、茶道教室などの各種教室を開催し、愛好家や市民に茶道に親しむ機会を提供しています。また、相模原市には相模原市茶道連盟が活動をしており、市民文化祭などで茶会を開催しています。
相模原市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。主な買取対象の茶道具としては、茶碗、棗、香合、茶掛などの茶道具、待光庵の号を授けたことで関係のある裏千家や表千家、武者小路千家の三千家で使われる茶道具、中国や朝鮮半島など海外で生産された茶道具など幅広くあります。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
相模原市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
相模原市での強化買取中の茶道具作家
中村宗哲
中村宗哲(なかむら そうてつ)は千家十職の塗師で、現在は十三代目が当代として活躍しています。
十三代目は、特徴的な柔らかさや繊細さを作風とし、注目を集めています。彼女は陶芸家の父と、歴代の中村宗哲史上で唯一の女流当代だった母を持つ名門一家で育ちます。代々受け継がれてきた中村宗哲の技術は、棗に見られる「塗りあがり」が象徴的であり、10以上の工程を経て完成します。種類の違う漆を塗り重ねることで変形を防ぎ100年後も使用可能な作品を生み出します。三代宗哲は天皇の調度や俳人として与謝蕪村らとの交流を深めるなど、宗哲史上で最も著名な塗師といわれています。
高橋敬典
高橋敬典(たかはしけいてん)は、1920年に山形で生まれた金工家であり、本名は高橋高治(たかじ)と言い、人間国宝に認定された人物としても知られています。
1950年に釜師である長野垤志に師事し、金工の技術を深く学びました。その後、日展で初入選し、昭和天皇にも釜を献上するなどしました。1996年には重要無形文化財(人間国宝)に認定されました。
高橋敬典は、芸術性を追求しながらも実用性のある釜や鉄瓶を創り上げ、新たな造形にも挑戦しました。2009年には慢性腎不全により88歳で亡くなりました。代表的な作品には、第10回日本伝統工芸展で奨励賞を受賞した「砂鉄松文撫肩釜」、第23回日本伝統工芸展でNHK会長賞を受賞した「甑口釜」などがあります。