茶道具と静岡県静岡市駿河区の歴史
駿河区は地図的に、静岡駅南口から海岸線まで一本道という区画整理された街並みが特徴です。静岡駅南口を起点とする石田街道は、駿河区役所や登呂遺跡の付近を経て、東名高速の高架下の先で海岸線に突き当たります。駿河区役所は、石田街道のほぼ中間地点です。石田街道が突き当たる国道150号線からは、駿河湾が一望できます。
この交差地点から東側に進んだ、高松地区以降の国道150号線は通称「いちご海岸通り」と呼ばれる苺が名産のエリアです。また駿河区高松から久能山東照宮の麓にかけては近年、人気YouTuberに見られる著名人の移住者が目立つことでも知られつつあります。
ちなみに久能山東照宮は、駿河区きってのパワースポットです。駿府城で生涯を終えた、徳川家康の遺体が埋葬されているといわれています。埋葬から約1年後に久能山東照宮が創建され、2010年に国宝の指定を受けたことで一躍話題に。東照宮の元祖として足を運ぶ参拝客が後を絶たない、駿河区の新名所です。小高い久能山東照宮から見わたせる、駿河湾のロケーションにも定評があります。
そんな駿河区は、もちろん海のレジャースポットも豊富です。なかでも“難破した海賊船”がある、広野海岸公園は高い注目度を誇ります。この船は砂浜に設けた巨大アスレチックで、公園内にはジャブジャブ池や大型の児童遊具なども。広野海岸公園は阿部川の近くあり、前述した石田街道との交差地点から反対側に4kmほど進んだ場所です。
こうした一方、お茶どころ静岡は、古くから日本茶を飲む習慣が定番スタイル。流派も京都に見られる茶道ではなく、煎茶道が駿河区に根差します。駿河区の文化芸術に関しては、東海屈指のコレクションと呼び声高い静岡県立美術館が人気スポットです。
静岡市駿河区で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
静岡市駿河区で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
静岡市駿河区での強化買取中の茶道具作家
中村宗哲
中村宗哲(なかむら そうてつ)は千家十職の塗師で、現在は十三代目が当代として活躍しています。
十三代目は、特徴的な柔らかさや繊細さを作風とし、注目を集めています。彼女は陶芸家の父と、歴代の中村宗哲史上で唯一の女流当代だった母を持つ名門一家で育ちます。代々受け継がれてきた中村宗哲の技術は、棗に見られる「塗りあがり」が象徴的であり、10以上の工程を経て完成します。種類の違う漆を塗り重ねることで変形を防ぎ100年後も使用可能な作品を生み出します。三代宗哲は天皇の調度や俳人として与謝蕪村らとの交流を深めるなど、宗哲史上で最も著名な塗師といわれています。
高橋敬典
高橋敬典(たかはしけいてん)は、1920年に山形で生まれた金工家であり、本名は高橋高治(たかじ)と言い、人間国宝に認定された人物としても知られています。
1950年に釜師である長野垤志に師事し、金工の技術を深く学びました。その後、日展で初入選し、昭和天皇にも釜を献上するなどしました。1996年には重要無形文化財(人間国宝)に認定されました。
高橋敬典は、芸術性を追求しながらも実用性のある釜や鉄瓶を創り上げ、新たな造形にも挑戦しました。2009年には慢性腎不全により88歳で亡くなりました。代表的な作品には、第10回日本伝統工芸展で奨励賞を受賞した「砂鉄松文撫肩釜」、第23回日本伝統工芸展でNHK会長賞を受賞した「甑口釜」などがあります。