茶道具と大阪府吹田市の歴史
2025年の大阪・関西万博(開催地:夢洲地区)を控えるなか、その初代として半世紀以上にわたって語り継がれている吹田市。約38万人が暮らす吹田市は1970年に開催された大阪万博で一躍、全国区の知名度を得た歴史を持ちます。そんな吹田市は大阪万博にとどまらず、1990年代に進んだ大阪モノレールの整備化によって、今日に見られる健都(北大阪健康医療都市)が形成されていきました。JR岸辺駅から直結する国立循環器病研究センターを筆頭格とし、この界隈に集まる「医療・健康」をコンセプトとした“まちづくり”が健都です。
こうした吹田市の発展における先駆けは、戦後の高度経済成長期に着手した「千里ニュータウン」にあります。吹田市の西端と豊中市にまたがる千里ニュータウンは、約10万人が生活する関西最大級の集合住宅街です。北千里駅や桃山台駅をはじめとする複数の駅が点在し、その周辺にはショッピングセンターを設けるなど都市化が進んだ反面、近年は人口減少による問題も抱えています。なお吹田市は千里ニュータウンに見られる、駅を多く抱えるのも特徴の1つです。
市内には15の駅舎があるほか、大学のキャンパスも5つと学園都市の側面もみせます。関大前駅の関西大学、岸辺駅と正雀駅の間にある大阪学院大学などが、その代表例です。万博公園の北側に位置する阪大病院前駅の周辺一帯も、医療・研究機関とともに大阪大学のキャンパス群が広がります。なお万博公園は大阪万博の跡地として「太陽の塔」が名残をとどめ、日本庭園を望める茶室「汎庵・万里庵」も見どころの1つです。汎庵・万里庵は、吹田市で主要な茶事を担う場所として活用されています。茶道具に関しては江坂駅の付近に店舗を構える「やまこう」が、千家十職や宮川一門といった高級茶器類を揃えることで有名です。
吹田市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
お手元にある大切な茶道具は、専門の鑑定士にお任せいただいた方が傷つけることなくより高い金額で査定ができます。数十年に渡る鑑定実績をもつ、我楽洞の茶道具専門の鑑定士がご自宅にうかがって、大切な茶道具を出張査定および買取をさせて頂きます。
主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
吹田市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
吹田市での強化買取中の茶道具作家
吉羽與兵衛
吉羽與兵衛(よしは よへい)は、90年以上続く茶釜師の三代目であり、伝統的な京釜の真髄を受け継ぎつつ、新しい商品の提案も行っている職人です。
京釜は茶道で使用される特別な茶釜であり、その伝統を守りながら各種展覧会に出品し受賞しています。二代目も伝統を守りつつ研究制作に励み、作品を発表してきました。2008年には三代目に譲り、現在は三代目が活動しています。吉羽與兵衛の作る茶釜は昔ながらの伝統的な技法を用いており、茶釜や風炉、花入、湯沸などが販売されています。
金森重近(宗和)
金森重近(かなもり しげちか)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した茶人で、「宗和流茶道」の開祖として知られます。
重近(宗和)は父から茶道を学びます。宗和流は「姫宗和」と呼ばれ、京都の公家たちの間で人気を博しました。重近は千利休の教えを尊重し、独自の流派に取り入れたとされています。
また、重近は京焼の名工「野々村仁清」の才能を見出したことでも知られていて、加賀藩の藩主前田利常からも高く評価されていました。宗和流茶道は金沢や故郷の高山を中心に伝えられ、1964年には高山市で無形文化財に登録されました。現在でも国際イベントや歴史関連の場で宗和流茶道が紹介され、ますます人気を集めています。