茶道具と東京都板橋区の歴史
東京都板橋区は池袋から近距離ながら、和光市や戸田市という埼玉県との境目に位置しています。そんな板橋区における“夏の代名詞”といえば、戸田市とを隔てる、荒川河川敷での「いたばし花火大会」です。例年50万人以上が押し寄せる、都内屈指の花火大会に数えられます。また秋に開催される板橋区民まつり、および区民文化祭も、半世紀以上の歴史を誇る一大イベントです。区民文化祭は阿波踊りや美術家作品展、文化会館でのお茶会などが2か月間にわたり繰り広げられます。
なお板橋区の茶事開催場では、本格的な茶室・徳水亭にくわえ、深山幽谷の趣を表現した日本庭園を備える「水車公園」が有名です。風光明媚な徳水亭は萩焼や楽焼茶碗、織部焼の水指といった名茶道具の貸し出しも行っているため、目の肥えた板橋区民の多さを伺わせます。こうした一方、四葉にある水車公園の近場には、板橋区を代表するパワースポット「東京大仏」も。
板橋区赤塚の乗蓮寺境内に鎮座する東京大仏は、奈良東大寺と鎌倉高徳院に次ぐ、日本で3番目の大きさを記録することで知られています。東京大仏以外では、中板橋駅の付近を流れる石神井川沿いの桜並木も、板橋区を象徴する観光名所です。そのほか「大山ハッピーロード」に見られる複数の商店街が点在しているのも、板橋区の特徴と言えるでしょう。
板橋区役所の近くにある大山ハッピーロードは、東武東上線・大山駅からのびるアーケード内に、約200店舗が軒を連ねる大規模な商店街です。大山にとどまらず、上板橋駅の商店街には旨辛ラーメンの元祖「蒙古タンメン中本」であったり、成増駅の商店街にある「モスバーガー1号店」だったり、地域カラーもしっかり残しています。
板橋区で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
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板橋区で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
板橋区での強化買取中の茶道具作家
中村宗哲
中村宗哲(なかむら そうてつ)は千家十職の塗師で、現在は十三代目が当代として活躍しています。
十三代目は、特徴的な柔らかさや繊細さを作風とし、注目を集めています。彼女は陶芸家の父と、歴代の中村宗哲史上で唯一の女流当代だった母を持つ名門一家で育ちます。代々受け継がれてきた中村宗哲の技術は、棗に見られる「塗りあがり」が象徴的であり、10以上の工程を経て完成します。種類の違う漆を塗り重ねることで変形を防ぎ100年後も使用可能な作品を生み出します。三代宗哲は天皇の調度や俳人として与謝蕪村らとの交流を深めるなど、宗哲史上で最も著名な塗師といわれています。
武野紹鴎
武野紹鴎(たけの じょうおう)は、千利休の師匠であり、わび茶の「中興の祖」として知られる人物です。
1502年に生まれ、三条西実隆に師事し古典・和歌を学んだ後、藤田宗理と村田珠光の弟子・十四屋宗悟らから茶の湯を学びました。臨済宗・大徳寺の古岳宗旦のもとで出家し、茶の湯に専念し「佗び茶」の道を追求します。紹鴎は千利休をはじめ多くの弟子を持ち、娘婿の今井宗久や津田宗及など、戦国武将たちにも継承されました。