茶道具と神奈川県座間市の歴史
モンスターの異名をとり、国民的スターの井上尚弥が生まれ育った神奈川県座間市。井上尚弥は4階級制覇を成し遂げた、日本ボクシング史上最強の呼び声が高いレジェンドボクサーです。2014年には国内最速となるプロ6戦目で世界王者に輝き、座間市民栄誉賞に選定されています。そんな座間市では「ひまわりまつり」と「大凧まつり」が一大イベント。座間市の西端を流れる相模川沿いの河川敷で、2つの会場に分けられた約55万本のヒマワリが咲き誇ります。ゴールデンウイークに開催される大凧まつりも、ヒマワリ畑と同じ河川敷が会場です。最大13m四方、畳10枚分の大凧が7分ほど空を舞います。
かにが沢公園で9月下旬に見ごろを迎える、12万本の曼珠沙華も座間市の秋を彩る風物詩と言えるでしょう。曼珠沙華の満開時には、俳句の吟行や琴の演奏、野点茶会なども行われます。そのほか茶道に関するイベントでは、ハーモニーホール座間をメイン会場とする茶事が主流です。7月の納涼茶会、座間市民芸術祭に伴う晩秋の茶会を中心に、通年型の茶道教室も開催しています。なおハーモニーホール座間は座間市役所の隣に位置し、これらの前に広がるのが、東京ドーム約7個分という規模を誇る座間谷戸山公園です。四季折々の植物や湿生生態園が見どころのほか、里山体験もできます。
座間市の中央部に位置する座間谷戸山公園の西端を小田急小田原線が走り、これを隔てた先に広がるのが米軍基地の「キャンプ座間」です。ちなみに隣接する大和市の米軍基地は空軍、座間キャンプは陸軍という違いがあります。座間キャンプで7月4日に行われる「米国独立記念祭」や8月の「日米親善盆踊り大会」は、数少ない基地開放日として例年にぎわいを見せます。
座間市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
座間市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
座間市での強化買取中の茶道具作家
武野紹鴎
武野紹鴎(たけの じょうおう)は、千利休の師匠であり、わび茶の「中興の祖」として知られる人物です。
1502年に生まれ、三条西実隆に師事し古典・和歌を学んだ後、藤田宗理と村田珠光の弟子・十四屋宗悟らから茶の湯を学びました。臨済宗・大徳寺の古岳宗旦のもとで出家し、茶の湯に専念し「佗び茶」の道を追求します。紹鴎は千利休をはじめ多くの弟子を持ち、娘婿の今井宗久や津田宗及など、戦国武将たちにも継承されました。
中村宗哲
中村宗哲(なかむら そうてつ)は千家十職の塗師で、現在は十三代目が当代として活躍しています。
十三代目は、特徴的な柔らかさや繊細さを作風とし、注目を集めています。彼女は陶芸家の父と、歴代の中村宗哲史上で唯一の女流当代だった母を持つ名門一家で育ちます。代々受け継がれてきた中村宗哲の技術は、棗に見られる「塗りあがり」が象徴的であり、10以上の工程を経て完成します。種類の違う漆を塗り重ねることで変形を防ぎ100年後も使用可能な作品を生み出します。三代宗哲は天皇の調度や俳人として与謝蕪村らとの交流を深めるなど、宗哲史上で最も著名な塗師といわれています。