茶道具と愛知県名古屋市の歴史
名古屋市ゆかりの茶道具に、尾張徳川家の伝来品が挙げられます。徳川御三家の筆頭格として、江戸時代全般を統治した尾張藩主・徳川家。天下を統一した徳川家康の九男・義直が尾張藩主に就いて以来、明治維新までの約250年間、15代にわたって名古屋城の天守閣に座った歴史を有します。初代尾張藩主・徳川義直は、父・家康から多くの茶道具類なども譲り受けました。これら家宝は歴代藩主が守り続け、昭和10年に設立した徳川美術館(名古屋市東区徳川町)に収蔵されています。井戸茶碗「大高麗」、竹野紹鷗が所持した「白天目」、黒織部の傑作「冬枯」などが、徳川美術館の代表的な茶道具コレクションです。
それとは別に2代・徳川光友は、尾張藩独自の「御深井焼」を後世に残しました。瀬戸焼の名工を集め、名古屋城内の官窯で焼かせた、いわゆる“御庭焼”です。御深井焼は、瀬戸・赤津焼の系譜をくむ名工によって現代まで伝承されています。ちなみに今日の名古屋城では、東海圏屈指の近代数寄者「森川コレクション」の常設展示も。明治中期の尾張一宮に生まれた森川如春庵は、名古屋市を拠点に茶道具類をはじめとする美術品の収集に努めた茶人です。
太平洋戦争に伴い名古屋市に疎開した実業家、かつ大茶人と称される「益田鈍翁」などと交流を深め、森川コレクションの存在は広く知れわたりました。名古屋城にとどまらず、名古屋市博物館(瑞穂区)も森川コレクションを多く収蔵することで知られています。また明治期の名古屋市で油屋から出発し、銀行経営で財を成した豪商「東松家」の茶道具コレクションも、同博物館が誇る所蔵品です。そのほか明治・大正期の名古屋市で実業家として大成した、後藤幸三の茶道具コレクションをメインとする昭和美術館(昭和区汐見町)も、瀬戸黒や黒織部に見られる桃山陶などの優品が豊富なことで有名です。
名古屋市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
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名古屋市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
名古屋市での強化買取中の茶道具作家
原三渓
原三渓(はら さんけい)は、日本の実業家・美術品収集家で、近代三大茶人(鈍翁・三渓・耳庵)の一人です。
25歳頃から美術品の収集を始め、明治末期にはコレクションの一部を手放して国宝の仏画「孔雀明王像」を購入しています。また、1902年頃、三渓園と呼ばれる庭園を横浜に作り、10棟もの重要文化財を移築しました。1917年には茶室・蓮華院を建設し、多くの茶会を開催しました。三渓は芸術家を支援するだけでなく、一般市民にも日本文化を広めたいという思いを持っていた人物でした。
黒田正玄
黒田正玄(くろだ しょうげん)は、歴代の三千家に竹を使う茶道具を納めてきた家系で千家十職の竹細工・柄杓師の名門です。
黒田家は、元は武士の家柄であったが、関ヶ原の戦いの後に竹細工職人となり、茶人や江戸幕府とのつながりを築きました。現在は十四代目が当主で、京都市上京区に仕事場を構えています。
竹細工・柄杓師は、竹の選別から磨き上げまでの技術を駆使して、優れた竹細工製品を作り出します。黒田家は千家十職の竹細工・柄杓師として、茶道具の花入や茶杓、釜敷、蓋置、香合、水指、茶筅など幅広い製品を手がけています。