茶道具と東京都新宿区の歴史
新宿区は西新宿にそびえ立つ巨大ランドマーク「東京都庁」をはじめ、格式のなかに自然が調和する新宿御苑、眠らないまち「歌舞伎町」や「ゴールデン街」、江戸文化をとどめる神楽坂などが全国区。2018年には新宿駅の1日の乗降客数が約360万人を記録し、ギネス世界記録の認定で大きな話題を呼んだことは記憶に新しいところです。こうしたトピックスも手伝ってか、外国人観光客が東京都を訪れた際の人気ランキングでは、ここ数年は新宿・新大久保エリアが不動の首位をキープしているほど。まさにワールドワイドな新宿区において、最も多くの外国人観光客から支持を集めているのが、いわゆる大名庭園の1つ「新宿御苑」です。
かつて江戸城郭に下屋敷を構えた諸大名が、徳川家康から治水や各種造営工事といった普請事業を課されたのち、方々に庭園を築いたことに端を発します。そんな新宿御苑は皇室ゆかりの歴史的建造物が名残をとどめるほか、桜や菊花展なども見どころの1つです。また苑内に備わる2つの茶室「翔天亭」と「楽羽亭」で定期的に催される、茶会や茶道体験イベントも、外国人観光客を中心に盛り上がりを見せます。
新宿御苑と同様に店内に本格的な茶室を設ける、新大久保の老舗「茶和益田屋」も外国人観光客の注目度が高い、茶道体験スポットとして有名です。昭和初期創業の茶和益田屋は、千家十職をはじめとする高級茶道具の取り揃えに定評があります。新宿駅西口前の小田急ハルク内で営む「青松園」も、昭和初期創業の新宿区を代表する茶道具の名店です。そのほか都庁前駅の京王プラザホテルが2023年から取り組んでいる、海外ゲストを見据えた「お点前体験」の提供もメディア報道などにより、今後の活躍が期待されています。
新宿区で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
お手元にある大切な茶道具は、専門の鑑定士にお任せいただいた方が傷つけることなくより高い金額で査定ができます。数十年に渡る鑑定実績をもつ、我楽洞の茶道具専門の鑑定士がご自宅にうかがって、大切な茶道具を出張査定および買取をさせて頂きます。
主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
新宿区で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
新宿区での強化買取中の茶道具作家
松平不昧
松平不昧(まつだいら ふまい)は、松江藩の七代目藩主であり、江戸時代を代表する茶人でもありました。不昧は藩の財政再建に尽力し、「松江藩中興の祖」と称されました。同時に茶の湯や禅学にも熱心に取り組み、伊佐幸琢に師事し石州流を学びました。藩政の成功後は茶道具の収集に情熱を注ぎ、収集品は「雲州名物」と呼ばれ900点以上のコレクションを持ちました。
また、彼は「不昧流」という武家茶道の流派を確立し、気取らずに茶を楽しむスタイルが特徴でした。また、彼の思想が詰まった茶室「菅田菴」は重要文化財となり、松江市の人気スポットとなっています。
駒沢利斎
駒沢利斎(こまざわりさい)は、千家十職の一人で指物師の家元が代々襲名する名称です。駒沢家は江戸時代中期に指物の制作を始め、江戸時代に活躍した七代目は、黒田正玄や飛来一閑などと共同で作品を制作しました。千家との関わりは千利休の孫である千宗旦の時代から深まりました。表千家からの指名を受け、駒沢家の指物はすべて「利休好み」の茶道具が作られることとなりました。
十四代まで続いた駒沢利斎ですが、1977年に68歳で亡くなって以降、後継者不在の状態が続いています。