茶道具と神奈川県伊勢原市の歴史
伊勢原市は「大山詣り」の本拠地、かつ太古の昔から山岳信仰とともに発展を遂げてきた神奈川県屈指の歴史を有します。大山は伊勢原市の北西部にそびえ立ち、その中腹に鎮座するのが「大山阿夫利神社」と「大山寺」です。大山阿夫利神社は2200年以上前の創建とされ、古くから大山が「雨降山」と呼ばれてきたことから、「あめふり」が転じて「あふり」に変わった由来を持ちます。大山詣りは江戸時代に最盛期を迎え、年間20万人の参拝客でにぎわいを見せた記録も。
ちなみに当時の江戸の町全体で約100万人といわれているため、伊勢参りより遥かに近場の“大山旅”が、関東圏内に暮らす庶民に幅広く受け入れらたことを伺わせます。そんな大山詣りの参拝者を出迎え、軒を連ねる旅館や土産店などに名残をとどめているのが「こま参道」です。この伊勢原市大山地区は「独楽」が名物の1つで、かつて多く集まっていた木地職人の計らいにより、土産品として手がけるようになったことに端を発します。また「こま参道」は、豆腐を販売する土産店などが目立つのも特徴です。豆腐の由来は諸説あるなか、山岳信仰の修験者に精進料理をもてなしたことが、その1つに挙げられます。
3月恒例の「大山とうふまつり」では、直径4mの大鍋を使って無料で振舞われる“湯豆腐”が人気の企画です。こま参道の新たなイベント「おおやままつり」も近年、耳目を集めはじめています。地酒の無料提供や参道内に設けられた野点による演出のほか、老舗料亭内に備わる茶室「松鈴庵」では茶会が開かれるなど、“令和版大山詣り”の火付け役として注目されています。なお茶道や茶道具に関しては、伊勢原市三ノ宮地区の名刹「能満寺」が、茶禅一味の教えを受け継ぐことで有名です。
伊勢原市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
伊勢原市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
伊勢原市での強化買取中の茶道具作家
樂吉左衛門
樂吉左衛門(らく きちざえもん)は、安土桃山時代から450年以上続いている樂焼茶碗の当代が襲名する名称です。樂家は茶碗づくりの名門で、千家十職の一つです。樂茶碗は代々、一子相伝のスタイルを継承し、「手づくね」といわれる制法を用います。
十五代目(本名:光博)は2019年に代替りし、「直入」と名乗りました。直入の作品は「樂美術館」で展示され、その他にも「金剛能楽堂」「頴川美術館」「佐川美術館」でも樂焼に触れることができます。特に「佐川美術館」は吉左衛門を含む3人の名前が付いた美術館で、日本画家や彫刻家の作品が展示されています。直入は陶芸家だけでなく、建築家としても才能を発揮し、数々の建築賞を受賞しました。2018年、彼と漫画家の松井優征の対談も話題となりました。
織田長益(有楽斎)
織田長益(おだ ながます)は織田信長の実弟であり、武将として活躍しながらも茶道に傾倒し、織田有楽斎として知られるようになりました。本能寺の変後、明智軍との戦いを経て岐阜に逃れ、その後は織田信雄に仕え、豊臣秀吉の御伽衆として仕えたのち、剃髪して有楽と号しています。
茶道では千利休に学び、武家茶道「有楽流」を確立します。京都の建仁寺に建てた茶室如庵は国宝に指定され、現在は犬山城の庭園・有楽苑に移設されています。晩年は京都で茶道と趣味に専念しました。また、織田有楽斎が自作した竹茶杓は、根津美術館に今も貯蔵されています。