茶道具と静岡県富士市の歴史
昔懐かしいローカル鉄道「岳南電車」が走る、静岡県富士市。県内3位の約24万人が暮らし、静岡ならではの茶、さらに製紙の生産量が全国区です。岳南電車は富士市内の東側を循環するように、10駅の区間を走ります。始発は富士市の2大中心街の1つ吉原駅、終着は岳南江尾駅です。
レトロ感は電車にとどまりません。いまだに駅員がハサミを入れる厚紙切符を続けているほか、月に2回ほど実施する“夜景電車”もローカル線ならではの取り組み。このイベントは照明を落とした状態で走る車窓から、富士市内の夜景が満喫できる名物企画です。昼間の富士山とは違った、古くから「紙のまち」として発展を遂げてきた富士市内の“ノスタルジックな工場夜景”などを体感できます。
そんな富士市の製紙工場の数は県内トップクラスで、生産量は全国の1割を占めるほどです。明治維新後に渋沢栄一が都内で着手した王子製紙に端を発し、富士山系の良質な湧水が流れることから、富士市に続々と工場が築かれた経緯を有します。これら製紙工場は富士市沿岸部に集まる一方、富士山の裾野に広がるのが茶畑です。この開墾には明治の侠客「清水次郎長」が大きく貢献したエピソードが地元の語り草で、正式な地名ではないものの「次郎長町」が、富士市の西端に名残をとどめています。
実はこの富士市大淵には近年、耳目を集めている絶景スポットも。段々畑の真ん中に、ウッドデッキで5人ほどのスペースを施した「茶の間テラス」です。静岡県内に6か所あるなか、大淵とは別の富士市富士岡に設置された茶の間テラスからは駿河湾も一望できます。こうした機運も手伝ってか、2023年に開催された秋祭茶会が盛り上がりを見せたことは、記憶に新しいところ。それとは別に2018年にリニューアルを遂げた「富士川楽座」も、大観覧車やプラネタリウムなどを抱える規格外な“道の駅”として、近年の富士市で話題に上がる人気スポットです。
富士市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
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富士市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
富士市での強化買取中の茶道具作家
飛来一閑
飛来家は一閑張細工師の家系であり、千家十職の一つである飛来一閑(ひき いっかん)の代々の当主が襲名しています。彼らは一閑張の技法を使い、茶道具や漆工芸品を制作してきました。飛来家は明から日本に渡り、千宗旦から注文を受けるようになり、表千家の御用細工師となりました。一閑張細工は、紙を重ね貼りして漆を塗る技法で、茶道具の棗や香合などを作るために用いられます。飛来家は京都に拠点を置き、現在は16代目が当代を務めています。一閑張細工は丈夫で重厚な漆工芸品であり、高級料亭や人形やお面などに使用されています。
武野紹鴎
武野紹鴎(たけの じょうおう)は、千利休の師匠であり、わび茶の「中興の祖」として知られる人物です。
1502年に生まれ、三条西実隆に師事し古典・和歌を学んだ後、藤田宗理と村田珠光の弟子・十四屋宗悟らから茶の湯を学びました。臨済宗・大徳寺の古岳宗旦のもとで出家し、茶の湯に専念し「佗び茶」の道を追求します。紹鴎は千利休をはじめ多くの弟子を持ち、娘婿の今井宗久や津田宗及など、戦国武将たちにも継承されました。