茶道具と神奈川県藤沢市の歴史
およそ44万人が暮らす神奈川県藤沢市は、湘南海岸から縦長にのびる地形が特徴的です。藤沢市内を縦断する小田急江ノ島線と並んで走る国道467号線は、ともに高座渋谷方面から長後地区を経由して湘南海岸まで向かいます。なお小田急江ノ島線は、子どもに人気のロマンスカーでも有名です。
長後駅の隣、湘南台駅は相鉄いずみ野線の終着駅で、周辺には新興住宅地が広がります。湘南台エリアから南下した藤沢駅は沿岸寄りに位置し、3つの路線を抱える藤沢市の要衝です。藤沢駅の周囲は大型商業施設や老舗の茶道具店などが融合する街並みで、藤沢市役所もそばにあります。
藤沢駅には藤沢市内を横断する東海道本線が停まる他方、隣の辻堂駅も北口の大型ショッピングモールがにぎわいを見せる人気のエリアです。そんな辻堂地区といえば、茶室などを備える数奇屋建築の有形文化財「月山堂滴水庵主屋」で知られています。そのほか辻堂地区には、藤澤浮世絵館や藤沢市アートスペース、約3000点の古伊万里を収蔵する知永古美術館もあり、文化的ポテンシャルを伺わせます。
そして最後は、藤沢市が誇る湘南江の島です。このエリアは沿岸に、3つの駅舎を集中的に設ける観光拠点。最も海寄りの片瀬江ノ島駅からは、出口の前を走る西湘バイパスを隔てて漁港、正面に江の島、右手に湘南鵠沼海岸と新江ノ島水族館が望めます。鵠沼海岸は海水浴とサーフィンのポイントを兼ね揃えた、関東屈指の夏のレジャースポットです。
江の島も同様に関東きっての観光地で、名物の生しらす丼はもちろん、江島神社や展望灯台のシーキャンドル、恋人の丘といったテーマパーク級の見どころが揃います。ちなみに昨今の“江の島グルメ”は、しらすやホタテなど海の幸を豊富に乗せた「竜宮漬け」が新名物です。
藤沢市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
お手元にある大切な茶道具は、専門の鑑定士にお任せいただいた方が傷つけることなくより高い金額で査定ができます。数十年に渡る鑑定実績をもつ、我楽洞の茶道具専門の鑑定士がご自宅にうかがって、大切な茶道具を出張査定および買取をさせて頂きます。
主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
藤沢市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
藤沢市での強化買取中の茶道具作家
黒田正玄
黒田正玄(くろだ しょうげん)は、歴代の三千家に竹を使う茶道具を納めてきた家系で千家十職の竹細工・柄杓師の名門です。
黒田家は、元は武士の家柄であったが、関ヶ原の戦いの後に竹細工職人となり、茶人や江戸幕府とのつながりを築きました。現在は十四代目が当主で、京都市上京区に仕事場を構えています。
竹細工・柄杓師は、竹の選別から磨き上げまでの技術を駆使して、優れた竹細工製品を作り出します。黒田家は千家十職の竹細工・柄杓師として、茶道具の花入や茶杓、釜敷、蓋置、香合、水指、茶筅など幅広い製品を手がけています。
金森重近(宗和)
金森重近(かなもり しげちか)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した茶人で、「宗和流茶道」の開祖として知られます。
重近(宗和)は父から茶道を学びます。宗和流は「姫宗和」と呼ばれ、京都の公家たちの間で人気を博しました。重近は千利休の教えを尊重し、独自の流派に取り入れたとされています。
また、重近は京焼の名工「野々村仁清」の才能を見出したことでも知られていて、加賀藩の藩主前田利常からも高く評価されていました。宗和流茶道は金沢や故郷の高山を中心に伝えられ、1964年には高山市で無形文化財に登録されました。現在でも国際イベントや歴史関連の場で宗和流茶道が紹介され、ますます人気を集めています。