茶道具と東京都国立市の歴史
碁盤目状に整備された街並みが特徴的な国立市。東京郊外を代表する文教都市で、古くから学園都市として発展を続けてきた歴史を有します。そんな国立市を象徴するのが、JR国立駅前に名残をとどめる“赤屋根の旧駅舎”と、そこからのびるメインストリート「大学通り」です。その名の通り、駅付近の一橋大学を経て約2㎞先の南武線・谷保駅まで、鮮やかな一直線の道が走ります。また国立駅からは東西にそれぞれ「旭通り」と「富士見通り」が、碁盤目の街路を斜めに貫くのも特徴です。旭通りは府中市や国分寺市方面へ、富士見通りは立川市にいたります。
なお国立市の由来は、隣接する国分寺市と立川市から一文字ずつとった、というのが定説です。古くは市の南側の谷保天神を置く旧谷保村が主流で、区画整備後の大学誘致を機に、現代にいたる街並みを形成していった経緯を持ちます。さらに補足すると、学業と交通の神を奉る谷保天神は東日本最古の天満宮という由緒を持つ、三多摩エリア屈指の初詣スポットとして有名です。
茶道や茶道具に関しては、やはり文教都市ならではの“秋”が真骨頂と言えるでしょう。桜の名所でも知られる大学通りは、秋にはイチョウの黄金色で染まるなか、このメインストリートが会場になる「国立天下市」と「くにたち市民文化祭」の2大イベントです。天下市は半世紀以上も続く三多摩エリア最大級の商業祭で、ミシンや絨毯、茶道具など、あらゆる品々が半額以上に値引きされることから、1日10万人規模の来場者を記録するほど。くにたち市民文化祭は国際茶会や市民茶会などが定番で、1ヶ月間にわたり繰り広げられます。こうした茶会では国立茶道連盟に所属する小堀遠州流、表千家や裏千家が亭主を務めます。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
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国立市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
国立市での強化買取中の茶道具作家
織田長益(有楽斎)
織田長益(おだ ながます)は織田信長の実弟であり、武将として活躍しながらも茶道に傾倒し、織田有楽斎として知られるようになりました。本能寺の変後、明智軍との戦いを経て岐阜に逃れ、その後は織田信雄に仕え、豊臣秀吉の御伽衆として仕えたのち、剃髪して有楽と号しています。
茶道では千利休に学び、武家茶道「有楽流」を確立します。京都の建仁寺に建てた茶室如庵は国宝に指定され、現在は犬山城の庭園・有楽苑に移設されています。晩年は京都で茶道と趣味に専念しました。また、織田有楽斎が自作した竹茶杓は、根津美術館に今も貯蔵されています。
高橋敬典
高橋敬典(たかはしけいてん)は、1920年に山形で生まれた金工家であり、本名は高橋高治(たかじ)と言い、人間国宝に認定された人物としても知られています。
1950年に釜師である長野垤志に師事し、金工の技術を深く学びました。その後、日展で初入選し、昭和天皇にも釜を献上するなどしました。1996年には重要無形文化財(人間国宝)に認定されました。
高橋敬典は、芸術性を追求しながらも実用性のある釜や鉄瓶を創り上げ、新たな造形にも挑戦しました。2009年には慢性腎不全により88歳で亡くなりました。代表的な作品には、第10回日本伝統工芸展で奨励賞を受賞した「砂鉄松文撫肩釜」、第23回日本伝統工芸展でNHK会長賞を受賞した「甑口釜」などがあります。