茶道具と千葉県松戸市の歴史
(本文)松戸市は徳川家ゆかりの茶道具をはじめとする、数多くのコレクションが眠ります。その主は徳川昭武、最後の将軍と呼ばれた徳川慶喜の異母弟です。徳川慶喜の後継として有力視されていたことから、「プリンス」や「幻の将軍」の異名をとります。徳川昭武は29歳で隠居後、そこからの生涯にわたり住み続けた場所が、松戸市の戸定邸です。中心市街地の松戸駅東口から800mほど南下した、現在の戸定が丘歴史公園内に名残をとどめています。
戸定は城郭に由来し、かつて付近に存在した松戸城という由緒を持つことから別邸地として選定。徳川昭武は現在の墨田区にあった、小梅本邸との二重生活を送っていたと伝えられています。現役時代の昭武は、兄・慶喜を師と仰いだ渋沢栄一らを従え赴いた、いわゆる“パリ視察”で知見を広めました。渋沢栄一がパリで近代日本経済の礎となる合本(株式会社)に着想を得た傍ら、昭武は外交を通して欧州の美術品の造詣を深めます。
隠居後は趣味とした庭園に貴族や要人を招き、欧州でのコレクションなどを披露。また桃山文化に見られる、戸定邸での御庭焼も好評を博したといわれています。昭武は戸定焼と命名し、自らも多くの茶道具類などを残しました。2020年に戸定歴史館で開かれた展示会「プリンス・トクガワ 松戸徳川家の調度品」は記憶に新しいところです。
なお昭武が戸定邸に築いたのは楽焼窯で、それらコレクションは松戸市立博物館にも収蔵されています。戸定邸の離れに設けられた茶室「松雲亭」は、今日でも茶会や句会といった場として活用されている、松戸市を象徴する文化的スポットです。そのほか、あじさい寺こと平賀地区の本土寺であったり、松戸駅の西口付近に構える本町の老舗「松屋ショップ春松」だったりも、松戸市の茶道文化を今に伝えています。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
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松戸市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
松戸市での強化買取中の茶道具作家
吉田織部
吉田織部(ふるた おりべ)は、戦国時代から江戸時代にかけて活躍した武将であり、茶人や芸術家としても知られる人物です。
武将茶人である吉田織部は、豊臣秀吉や徳川家康、徳川秀忠の茶の湯の指南役としても活躍しました。織部流の祖として茶道に大きな影響を与え、南山城・東大和1万石の大名でもありました。茶道具や建築、作庭など幅広い活動を通じて織部好みの流行を生み出しました。
現代でも織部焼で広く知られ、漫画ヘウゲモノで吉田織部の名前を知ったという人も少なくないです。また、吉田織部は千利休の弟子であり、利休の「人と違う事をしろ」という教えを守り利休とは異なる個性的な美を追求しました。利休亡き後は「天下の茶人」となり、織部流の祖として茶道界で称えられています。
奥村吉兵衛
奥村吉兵衛(おくむら きちべえ)は、歴代の三千家に掛軸、風炉先屏風、釜の敷物の一種である「紙釜敷」などを納めてきた家系で千家十職の表具師の名門です。
奥村家は、加賀藩前田家に仕えたのち、京都で表具屋として活動し、表千家に引き立てられました。現在は十二代目が当主で、京都市中京区に仕事場を構えています。表具師は、絵画や書などを布や紙を使って保存するために掛け軸や巻物に仕立てることや、屏風や襖などの仕立てから修理を行う職人で、表装技能士の国家資格も存在します。職業訓練校などで育成され、大戦後からその役割が重要視されています。