茶道具と東京都足立区の歴史
上野からのびる日光街道(国道4号線)と、日暮里駅発の舎人ライナーが南北を走る東京都足立区。上野方面からの玄関口は隅田川の千住大橋をわたった、足立区の中心街「北千住」です。そのまま日光街道を進むと、荒川を越えて、足立区役所の前を通過します。なお荒川沿いの土手は、俳優・武田鉄矢が教師役を務めたテレビドラマ「3年B組金八先生」のロケ地に使われた場所として有名です。荒川土手以外にも、千住旭町商店街や堀切駅などが“金八先生ゆかりの地”として語り継がれています。
ゆかりといえば、足立区役所から日光街道を隔てた梅島・島根界隈も、地元が誇る聖地。お笑い界のビッグ3に数えられ、世界的な映画監督としての評価も得る、足立区が生んだスーパースター「北野武」の地元です。“ビートたけし”こと北野武曰く「大学入学まで足立区を出たことがない」と振り返る生粋の足立っ子。まだ幼き頃の北野武が、父との体験を映画化にした「菊次郎の夏」では、古き良き下町人情が根差した当時の足立区の様子を収めています。
この島根から西側に少し足をのばすと、古くから初詣などで知られる、足立区きっての名所「西新井大師」もあります。そのほか舎人ライナーの停車駅でもある舎人公園、埼玉県草加市と接する北部東側エリアの花畑公園も、足立区で人気のスポットです。花畑公園は前述した足立区役所から日光街道を北上し、西保木間交差点を東側に進んだ、団地群や文教大学の新設キャンパスなどに囲まれた場所に位置しています。また園内には大ホールや茶室などを備えた桃花亭を抱えることから、足立区における文化交流の拠点としての側面を持つのが特徴です。茶室「不断庵」では、定期的に茶道教室も行われています。
足立区で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
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足立区で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
足立区での強化買取中の茶道具作家
細川忠興
細川忠興(ほそかわ ただおき)は、戦国時代から江戸時代前期の戦国武将であり、細川三斎としても知られる茶道三斎流の開祖です。
細川藤孝の子として生まれ、若くして紀州征伐に参戦し初陣を飾りました。信長の仲介で明智光秀の娘・玉子(ガラシャ)と結婚し、茶人としても優れた才能を発揮しました。千利休の弟子となり、利休七哲の一人として名高く、利休門三人衆に数えられた武将の一人で利休の最期に立ち会った数少ない弟子の一人でもあります。
また、医学にも興味を持ち、徳川家康に仕えながら漢方薬の製作にも取り組んでいました。細川忠興は茶道と戦国武将、医学など文武両道の才能を持ち、その名を残しました。
大西清右衛門
大西清右衛門(おおにし せいえもん)は、京都を発祥とする茶器の職人が名乗る屋号で、江戸時代初期から続く茶釜師です。千家十職の一つであり、京都市中京区の三条釜座に工房を構え、現在は十六代目が当代を引き継いでいます。茶道に精通する人たちに向けた茶釜の製造に特化し、「鋳造」という工法を用います。
大西清右衛門は、初代の大西浄林から始まり、現在まで十六代続いています。特に七代の浄玄は民衆に広く知られ、美しい釜を手がけた名工として称えられています。
大西清右衛門美術館では、書物や歴代の作品が展示され、年間イベントでは茶会も行われています。