茶道具と東京都江東区の歴史
日本最大の国際展示場「東京ビッグサイト」を擁する江東区。築地からの移転問題ですったもんだがあったものの、オープン後は食べ歩きやグルメスポットとしてもにぎわいを見せる、豊洲市場も江東区を象徴する名所の1つです。このエリアでは、ららぽーと豊洲の看板的な子ども向けの職業体験施設「キッザニア東京」も特にファミリー層から高く支持され、注目度を高めています。こうした反面、深川界隈に根差す「下町情緒」を色濃く残しているのも、江東区の特徴です。
深川界隈は広範囲で、門前仲町の代名詞「富岡八幡宮」を中心とし、北側の森下駅や住吉駅周辺~南側の木場・東陽町駅の付近一帯までおよびます。深川の範囲に明確な定義はありませんが、終戦直後まで存在した「深川区」の名残をとどめる、ともいわれています。そんな深川で下町ならではの伝統文化を今日まで紡いでいる工房が、江戸指物を手がける「茶の湯指物 千匠」です。江戸指物は台東区や荒川区が本場で、いわゆる「下町」と呼ばれる地域で受け継がれている東京都の代表的な伝統工芸。江東区東陽1丁目に工房を構える「茶の湯指物 千匠」では、3代当主・山田嘉丙が、得意とする江戸千家の棚などを手がけています。
指物とは茶事の際に茶道具を飾り置く棚で、山田嘉丙は江戸千家からの信頼を得て、その名を広めています。江戸千家は川上不白を始祖とする、東京が拠点の茶道流派です。こうした深川に根強く残る寺町の伝統、ひいては茶道文化は江戸指物にとどまりません。門前仲町駅が最寄りの茶道具店「豊新堂」をはじめ、深川ならではの茶道教室で人気を博す「慧然寺」などが有名です。そのほか光章庵や熊野茶道教室も、寺町・深川から茶道文化を今日に伝えています。
江東区で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
お手元にある大切な茶道具は、専門の鑑定士にお任せいただいた方が傷つけることなくより高い金額で査定ができます。数十年に渡る鑑定実績をもつ、我楽洞の茶道具専門の鑑定士がご自宅にうかがって、大切な茶道具を出張査定および買取をさせて頂きます。
主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
江東区で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
江東区での強化買取中の茶道具作家
飛来一閑
飛来家は一閑張細工師の家系であり、千家十職の一つである飛来一閑(ひき いっかん)の代々の当主が襲名しています。彼らは一閑張の技法を使い、茶道具や漆工芸品を制作してきました。飛来家は明から日本に渡り、千宗旦から注文を受けるようになり、表千家の御用細工師となりました。一閑張細工は、紙を重ね貼りして漆を塗る技法で、茶道具の棗や香合などを作るために用いられます。飛来家は京都に拠点を置き、現在は16代目が当代を務めています。一閑張細工は丈夫で重厚な漆工芸品であり、高級料亭や人形やお面などに使用されています。
金森重近(宗和)
金森重近(かなもり しげちか)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した茶人で、「宗和流茶道」の開祖として知られます。
重近(宗和)は父から茶道を学びます。宗和流は「姫宗和」と呼ばれ、京都の公家たちの間で人気を博しました。重近は千利休の教えを尊重し、独自の流派に取り入れたとされています。
また、重近は京焼の名工「野々村仁清」の才能を見出したことでも知られていて、加賀藩の藩主前田利常からも高く評価されていました。宗和流茶道は金沢や故郷の高山を中心に伝えられ、1964年には高山市で無形文化財に登録されました。現在でも国際イベントや歴史関連の場で宗和流茶道が紹介され、ますます人気を集めています。