茶道具と東京都墨田区の歴史
ここ近年に見られる墨田区の話題といえば、2012年に都心の新たなランドマークとして誕生した「東京スカイツリー」一色と言っても過言ではないでしょう。スカイツリーの真下にあり、新名所と同時オープンを迎えた大型商業施設「東京ソラマチ」も、すみだ水族館などが人気を博し、依然として下火知らずの客足でにぎわいを見せます。そんな東京スカイツリータウンにとどまらず、大相撲の聖地「両国国技館」および、隣接する江戸東京博物館、江戸時代後期発祥の向島百花園も墨田区で定番の人気スポットです。
東武スカイツリーライン・東向島駅が最寄りの向島百花園は、約200年という歴史のなかで育まれてきた野草や山草を残す都内屈指の名勝地。秋に開催される「月見の会」や「虫ききの会」などの伝統行事で知られ、1800年代前半の開園黎明期には絵師の酒井抱一や茶人の川上不白ら著名な文化人の取り計らいがあったと伝えられています。なお川上不白は、それまで京都で主流だった千利休の茶道を江戸の町内に広く普及させた茶人、かつ今日にいたる江戸千家の流祖です。こうした背景も手伝ってか、向島百花園の主要イベントの際には、茶会を設ける風習があります。
向島百花園とは別に、過去には江戸東京博物館で「川上不白と江戸千家展」が開かれており、墨田区とのゆかりの深さを伺わせるところです。そのほか両国国技館の裏手に広がる、旧安田庭園も茶道との接点を持つ穴場スポットです。庭園の元所有者である安田善次郎といえば、銀行王の異名をとる安田財閥の創始者。現在の「みずほFG」や「明治安田生命」などの前身を立ち上げた実業家でありながら、表千家11代家元の門下を経た茶人・松翁としても知られています。
墨田区で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
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墨田区で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
墨田区での強化買取中の茶道具作家
織田長益(有楽斎)
織田長益(おだ ながます)は織田信長の実弟であり、武将として活躍しながらも茶道に傾倒し、織田有楽斎として知られるようになりました。本能寺の変後、明智軍との戦いを経て岐阜に逃れ、その後は織田信雄に仕え、豊臣秀吉の御伽衆として仕えたのち、剃髪して有楽と号しています。
茶道では千利休に学び、武家茶道「有楽流」を確立します。京都の建仁寺に建てた茶室如庵は国宝に指定され、現在は犬山城の庭園・有楽苑に移設されています。晩年は京都で茶道と趣味に専念しました。また、織田有楽斎が自作した竹茶杓は、根津美術館に今も貯蔵されています。
永樂善五郎
永樂善五郎(えいらく ぜんごろう)は、約500年続く京焼の名家であり、土風炉・焼物師の家元です。始まりは室町時代で、創設者「西村宗禅」が土風炉の依頼を受けたことからでした。現在の当代は十七代で、国内外で個展を開催し、新たなスタイルを追求しています。
永樂家は多くの名工を輩出し、京焼の名声を高めてきました。特に十代了全は「天明の大火」による損失から「永樂」印を用いるようになり、この時期より千家十職として認められたといわれています。