茶道具と兵庫県豊岡市の歴史
兵庫県の北東部に位置し、日本海に面する豊岡市。海水浴場として人気を博す竹野浜ビーチ、海の幸を提供するシーランドや水族館など複合型のレジャースポット「城崎マリンワールド」、はたまた多くの文豪に愛された城崎温泉、「但馬の小京都」の異名をとる出石の街並み、コウノトリの生息地などで知られています。
その一方、関西屈指の豪雪地帯としての側面を持つのが豊岡市です。西端側には冬場にスキーおよびスノーボード客でにぎわいを見せる、神鍋高原があります。こうしたなかでも注目したいのが、城崎温泉と出石地区です。海岸線からやや南下した山間にある城崎温泉は、コウノトリの足傷を治した「鴻の湯の伝説」が語り草。そこから1世紀の時を経て、この地に温泉が湧き出て以来、1300年の歴史を紡いできた湯治場です。そんな城崎温泉では鴻の湯をはじめ、志賀直哉の小説「暗夜行路」に登場する御所の湯など、7つの共同浴場を満喫する「外湯めぐり」が根付いています。
やがてコウノトリは豊岡盆地に住み着くようになり、それが今日にいたる“野生復帰”を目的とした活動です。1999年に豊岡市祥雲寺に設けられた「兵庫県立コウノトリの郷公園」で、野生復帰に向けた研究や調査などが行われています。昭和初期には既に「コウノトリの郷駅」が設置されているため、飛来や生息にまつわるリアルな歴史を伺わせるところ。
コウノトリの郷公園は豊岡駅や豊岡市役所などがある盆地の中心部にあり、その南端側に位置するのが出石地区です。ここは江戸時代初期の名僧「沢庵和尚」の出身地で、晩年を過ごした宗鏡寺の境内にある投淵軒が名残をとどめています。沢庵和尚といえば、茶禅一味で知られる京都・大徳寺の住職を務め、大名茶人の小堀遠州と交流を深めた高僧です。茶道具に関しても「茶器詠歌集」という独自の書物に綴っていたほどで、沢庵和尚の所持品が注目されています。
豊岡市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
お手元にある大切な茶道具は、専門の鑑定士にお任せいただいた方が傷つけることなくより高い金額で査定ができます。数十年に渡る鑑定実績をもつ、我楽洞の茶道具専門の鑑定士がご自宅にうかがって、大切な茶道具を出張査定および買取をさせて頂きます。
主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
豊岡市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
豊岡市での強化買取中の茶道具作家
永樂善五郎
永樂善五郎(えいらく ぜんごろう)は、約500年続く京焼の名家であり、土風炉・焼物師の家元です。始まりは室町時代で、創設者「西村宗禅」が土風炉の依頼を受けたことからでした。現在の当代は十七代で、国内外で個展を開催し、新たなスタイルを追求しています。
永樂家は多くの名工を輩出し、京焼の名声を高めてきました。特に十代了全は「天明の大火」による損失から「永樂」印を用いるようになり、この時期より千家十職として認められたといわれています。
松平不昧
松平不昧(まつだいら ふまい)は、松江藩の七代目藩主であり、江戸時代を代表する茶人でもありました。不昧は藩の財政再建に尽力し、「松江藩中興の祖」と称されました。同時に茶の湯や禅学にも熱心に取り組み、伊佐幸琢に師事し石州流を学びました。藩政の成功後は茶道具の収集に情熱を注ぎ、収集品は「雲州名物」と呼ばれ900点以上のコレクションを持ちました。
また、彼は「不昧流」という武家茶道の流派を確立し、気取らずに茶を楽しむスタイルが特徴でした。また、彼の思想が詰まった茶室「菅田菴」は重要文化財となり、松江市の人気スポットとなっています。