茶道具と埼玉県上尾市の歴史
上尾市は複数の地域と隣接するなか、古くから旧大宮市(現さいたま市3区)とつながる交通網の発達で、今日にいたります。上尾市の南部と隣接するのが、さいたま市見沼区・北区・西区の3つです。このうち鉄道路線は、見沼区と北区からのびます。上尾市の東端に位置する瓦葺地区の最寄りは、JR宇都宮線の東大宮駅(見沼区)です。瓦葺地区も東大宮駅界隈も境目なので、さほど距離は離れていません。
北区からは2路線、ニューシャトルとJR高崎線です。ここまで計3路線の真ん中を走るのがニューシャトルで、境目の原市駅、そこから少し北上した沼南駅を経て、隣接する伊奈町方面に向かいます。なお原市(はらいち)地区は、お笑い芸人「ハライチ」の出身地で有名です。そして高崎線は中心街の上尾駅、境目の北上尾駅を経由して隣接する桶川市にいたります。上尾駅は冬場に点灯する、イルミネーションが年々拡大中です。
西区からは上尾道路(国道17号バイパス)がのびており、圏央道・桶川川本ICに合流します。上尾市の西隣は小江戸・川越市で、境目の荒川にかかるのが開平橋です。この界隈は河川敷が広がり、夏場は上尾花火大会でにぎわいを見せます。また開平橋の袂に位置する平方地区は、7月恒例の「どろいんきょ」が奇祭で知られる伝統行事です。
この地に鎮座する八枝神社から神輿を担ぎ、数十メートル先の泥沼で放り投げます。その後は神輿を何度も起こしては放り投げるのを繰り返し、担ぎ手が泥だらけになるまで続くエキセントリックなイベントです。どろいんきょは諸説あるなか明治末期が初開催で、奇祭ながら優に1世紀を超える歴史を有します。そんな上尾市の茶道具に関しては、上野地区で営業する茶舗「矢島園」が知られた存在です。
上尾市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
お手元にある大切な茶道具は、専門の鑑定士にお任せいただいた方が傷つけることなくより高い金額で査定ができます。数十年に渡る鑑定実績をもつ、我楽洞の茶道具専門の鑑定士がご自宅にうかがって、大切な茶道具を出張査定および買取をさせて頂きます。
主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
上尾市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
上尾市での強化買取中の茶道具作家
高橋敬典
高橋敬典(たかはしけいてん)は、1920年に山形で生まれた金工家であり、本名は高橋高治(たかじ)と言い、人間国宝に認定された人物としても知られています。
1950年に釜師である長野垤志に師事し、金工の技術を深く学びました。その後、日展で初入選し、昭和天皇にも釜を献上するなどしました。1996年には重要無形文化財(人間国宝)に認定されました。
高橋敬典は、芸術性を追求しながらも実用性のある釜や鉄瓶を創り上げ、新たな造形にも挑戦しました。2009年には慢性腎不全により88歳で亡くなりました。代表的な作品には、第10回日本伝統工芸展で奨励賞を受賞した「砂鉄松文撫肩釜」、第23回日本伝統工芸展でNHK会長賞を受賞した「甑口釜」などがあります。
永樂善五郎
永樂善五郎(えいらく ぜんごろう)は、約500年続く京焼の名家であり、土風炉・焼物師の家元です。始まりは室町時代で、創設者「西村宗禅」が土風炉の依頼を受けたことからでした。現在の当代は十七代で、国内外で個展を開催し、新たなスタイルを追求しています。
永樂家は多くの名工を輩出し、京焼の名声を高めてきました。特に十代了全は「天明の大火」による損失から「永樂」印を用いるようになり、この時期より千家十職として認められたといわれています。