茶道具と神奈川県厚木市の歴史
事あるごとに地名を巡った議論が絶えない神奈川県厚木市。その発端は江戸時代に流行った「大山詣り」にあると言えるでしょう。江戸時代に庶民の間で一大ブームとなった、現代で言う旅行が「伊勢参り」です。ただ関東圏からは遠方のため、通える範囲で注目されたのが、伊勢原市・厚木市・秦野市にまたがる大山詣りです。この大山信仰は関東圏を中心に広く浸透し、各方面から向かえる“大山道”も整備されました。なかでも王道とされるのが、厚木宿を発展させた江戸からのルートです。
厚木宿は、現在の本厚木駅の東側を流れる相模川沿いに築かれました。相模大橋の袂に位置する厚木市東町から、県道601号線沿いを相模川と並行するように南下した約1㎞区間に、茶屋などが軒を連ねたと伝えられています。この相乗効果で、人口も爆発的に増えました。そして本題の地名は、相模大橋をわたった反対側の袂に位置する「海老名市の厚木駅」です。最初に出来たのが相鉄本線の厚木駅で、まだ本厚木駅の小田急小田原線は開通していません。当時の人口は海老名村が9000人ほど、対する厚木町は3万人前後と圧倒しています。
つまり知名度の高い厚木のネームバリューを利用したいがために、当時の村長なのか相鉄本線側の誰かが、駅名の採用に至った、というのが有力説です。綾瀬市と大和市にまたがる「厚木基地」も、似たような理由で、当時の米軍の誤認といわれています。うがった見方をすると、それほど当時の厚木は群を抜いて栄えており、人目を引く華やかな何かを醸し出していたことでしょう。そんな厚木市の茶の湯や茶道具に関しては、温水地区で営む滴月庵が好評です。運営者である大日本茶道学の茶道教授が、茶道稽古を通して厚木市に議論とは無縁な“涼やかな風”をもたらしています。
厚木市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
お手元にある大切な茶道具は、専門の鑑定士にお任せいただいた方が傷つけることなくより高い金額で査定ができます。数十年に渡る鑑定実績をもつ、我楽洞の茶道具専門の鑑定士がご自宅にうかがって、大切な茶道具を出張査定および買取をさせて頂きます。
主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
厚木市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
厚木市での強化買取中の茶道具作家
大樋長左衛門
大樋長左衛門(おおひ ちょうざえもん)は、京都を発祥とする楽焼の茶器を手掛ける大樋焼の屋号で、現在は十一代目が当代を務めています。約350年の歴史があり、現在でも「楽家脇窯」として楽焼を正式に公表される唯一の家元です。
初代の土師長左衛門が開窯し、「飴釉の釉技」を後世に伝えました。四代目は「黒楽茶碗」を確立し、五代目は「大樋焼 中興の祖」と呼ばれ大きな黒茶碗で評価されました。八代目以降は茶道界との関係を深め、九代目は黒幕釉の陶才を発揮しました。十代目は陶芸界に大きく貢献し、文化勲章や文化功労者に輝いています。現在の十一代目は陶芸家でありながら世界的デザイナーでもあり、国内外で活躍しています。
土田友湖
土田友湖(つちだ ゆうこ)は千家十職の袋師で、袋師の当主が代々襲名している名称です。彼らは茶道具の仕覆や帛紗などの袋物を制作し、歴代の三千家に納めてきました。
土田家は彦根藩井伊氏に仕え、商家として西陣織の仲買人となりました。表千家の支援を受け、仕覆などを作るようになりました。現在は13代目が当主で、京都市中京区に仕事場を構えています。袋師は茶道具の袋物全般を制作し、茶道で使用される布製の道具を扱います。