茶道具と神奈川県茅ヶ崎市の歴史
約24万人が暮らす神奈川県茅ケ崎市は、加山雄三やサザンオールスターズなど“海をイメージする芸能人ゆかりの地”として全国区の知名度を持ちます。その中心市街地は、東海道本線と相模線が停車する“JR茅ヶ崎駅の周辺界隈”です。なお茅ヶ崎駅南口のロータリーを起点とする県道310号線は海岸線までのびる一本道で、通称「雄三通り」と呼ばれています。これは茅ヶ崎市で育った「若大将」の異名をとる、歌手・俳優の加山雄三が由来です。加山雄三は2023年に、茅ヶ崎市の名誉市民に選ばれています。
また茅ヶ崎駅南口の右手を地下連絡道(ツインウェイヴ)まで進むと、ここを起点とし海水浴場までのびる「サザン通り」も。茅ヶ崎市出身で国民的バンド「サザンオールスターズ」のメインボーカルを務める桑田佳祐にちなんだもので、サザン通り商店街を経て、サザンビーチちがさき海水浴場へと至ります。茅ヶ崎漁港に隣接する「サザンビーチ」は、海水浴やサーフィンのポイントとしてにぎわいを見せる、茅ヶ崎市の代表的なスポットです。
8月上旬に打ち上げられる「サザンビーチちがさき花火大会」は夏の風物詩として定着し、近年はサザンオールスターズが秋のビーチを盛り上げる「茅ヶ崎サザン芸術花火」も一大イベントに数えられています。そんな茅ヶ崎市において、奥ゆかしい風情を味わえると評判なのが、高砂緑地にたたずむ茶室「松籟庵」です。雄三通りとサザン通りの中間に位置し、茅ヶ崎駅南口から5分ほど進んだ住宅地の中に、小高い高砂緑地が広がります。地元にゆかりある実業家の別荘地を茅ヶ崎市が譲り受け、1991年に松籟庵が完成。2022年には松籟庵の30周年を記念した、茶会イベントなどが開かれ話題になりました。
茅ヶ崎市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
お手元にある大切な茶道具は、専門の鑑定士にお任せいただいた方が傷つけることなくより高い金額で査定ができます。数十年に渡る鑑定実績をもつ、我楽洞の茶道具専門の鑑定士がご自宅にうかがって、大切な茶道具を出張査定および買取をさせて頂きます。
主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
茅ヶ崎市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
茅ヶ崎市での強化買取中の茶道具作家
長野垤志
長野垤志(ながの てつし)は、愛知県で生まれた鋳金家であり、釜師です。
最初は洋画家を志していましたが、鋳金に転じて山本安曇と香取秀真に師事しました。27歳のとき、帝展で初入選し、1933年に同展で出品した『青銅方盤』が特選となります。長野垤志は、花瓶や鐘などの作品や茶の湯釜の制作で評価を受けました。また、釜に関する研究や書籍の出版も行い、63歳で重要無形文化財「茶の湯釜」保持者(人間国宝)に認定されました。1977年に77歳で亡くなりました。
武野紹鴎
武野紹鴎(たけの じょうおう)は、千利休の師匠であり、わび茶の「中興の祖」として知られる人物です。
1502年に生まれ、三条西実隆に師事し古典・和歌を学んだ後、藤田宗理と村田珠光の弟子・十四屋宗悟らから茶の湯を学びました。臨済宗・大徳寺の古岳宗旦のもとで出家し、茶の湯に専念し「佗び茶」の道を追求します。紹鴎は千利休をはじめ多くの弟子を持ち、娘婿の今井宗久や津田宗及など、戦国武将たちにも継承されました。