茶道具と千葉県船橋市の歴史
船橋市の魅力を説明する上で、ファミリー層を中心に高い関心が寄せられている、ふなばしアンデルセン公園を抜きに語れません。のどかな自然が残る、船橋市北東部のアンデルセン公園。デンマークを代表する歴史的童話作家「アンデルセン」にちなんだ、古き北欧の風景や建物を体感できる市営公園です。ポニーの乗馬体験から噴水広場での水遊び、子ども目線のワークショップを備えた美術館まで、丸一日を使い切れる仕掛けが充実しています。
アトラクションも子ども向けながら、本格的なアスレチックや高さ50mのローラーすべり台など豊富です。ランチはレストランからフードコートまで多彩に揃うほか、限定ショップで販売されている名物「アンデルセンドッグ」の食べ歩きも定番スタイル。そんなアンデルセン公園は市営のため、アトラクションの大半が無料で利用できます。また入園料や有料のアトラクションも比較的に安価なのが、ふなばしアンデルセン公園の最大の特徴です。
2020年には東日本のテーマパークランキングで、堂々の4位にランクインした、ふなばしアンデルセン公園。かつては日本全体のアミューズメントランキングで、強豪のUSJを抑えて3位に躍り出たことも。いずれも上位2強は、不動の東京ディズニーリゾート組です。名実ともに千葉県を代表ふるアンデルセン公園から、船橋市の底力さえ伺わせます。実はこのバックヤードにあるのが、地方自治体トップの人口数から生まれる商工業の発展力です。
政令指定都市を除く、全国最多の約64万人が、船橋市を支えています。船橋市は南部に大規模な臨海工業地区が形成され、このエリアを隔てるJR南船橋駅の北口には大型ショッピングセンターの元祖「ららぽーと」の第1号店も。ららぽーとは、関東を中心に海外にまで展開する、総数20以上の大型商業施設です。この先駆けが1981年に誕生した「ららぽーとTOKYO-BAY」で、抱えるショップ数も400以上と同系列の最大規模を誇ります。
ららぽーととは別に、JR船橋駅や京成船橋駅を擁する本町エリアが、船橋最大の市街地です。この本町エリアには、ビル群の街並みにギャップを感じてしまうと評判の本格的な茶室もあります。船橋市を代表する文化的施設の茶華道センターです。ハローワークなどが入る複合ビルを活動拠点とし、茶事や華道展といった船橋市の文化的な主要イベントを担います。
船橋市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
お手元にある大切な茶道具は、専門の鑑定士にお任せいただいた方が傷つけることなくより高い金額で査定ができます。数十年に渡る鑑定実績をもつ、我楽洞の茶道具専門の鑑定士がご自宅にうかがって、大切な茶道具を出張査定および買取をさせて頂きます。
主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
船橋市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
船橋市での強化買取中の茶道具作家
駒沢利斎
駒沢利斎(こまざわりさい)は、千家十職の一人で指物師の家元が代々襲名する名称です。駒沢家は江戸時代中期に指物の制作を始め、江戸時代に活躍した七代目は、黒田正玄や飛来一閑などと共同で作品を制作しました。千家との関わりは千利休の孫である千宗旦の時代から深まりました。表千家からの指名を受け、駒沢家の指物はすべて「利休好み」の茶道具が作られることとなりました。
十四代まで続いた駒沢利斎ですが、1977年に68歳で亡くなって以降、後継者不在の状態が続いています。
織田長益(有楽斎)
織田長益(おだ ながます)は織田信長の実弟であり、武将として活躍しながらも茶道に傾倒し、織田有楽斎として知られるようになりました。本能寺の変後、明智軍との戦いを経て岐阜に逃れ、その後は織田信雄に仕え、豊臣秀吉の御伽衆として仕えたのち、剃髪して有楽と号しています。
茶道では千利休に学び、武家茶道「有楽流」を確立します。京都の建仁寺に建てた茶室如庵は国宝に指定され、現在は犬山城の庭園・有楽苑に移設されています。晩年は京都で茶道と趣味に専念しました。また、織田有楽斎が自作した竹茶杓は、根津美術館に今も貯蔵されています。