茶道具と静岡県浜松市の歴史
東海地方屈指の約80万人が暮らし、何と言っても徳川家康とのゆかりが深い静岡県浜松市。近年の経過としては、平成の大合併で浜松市7区に構成され、2024年から3区にまとめられた背景があります。徳川幕府の終焉以降はヤマハの楽器およびバイク、スズキ自動車の3大産業を中心に発展を遂げてきたのが、今日にいたる浜松市です。
ヤマハはピアノ台に見られる木を曲げる技術が戦時下に軍から重用され、当時はまだ木製だった戦闘機のプロペラを手がけた際、その過程で必要と判断した“モーター”を独自開発。これが実践レベルを遥かに上回ったことで、バイク製造の着手を得たと伝えられています。スズキ自動車は明治後期の現在の浜松市中区で産声を上げ、“中興の祖”と呼ばれる「鈴木修」が、熱血漢で支持を集めた同社を象徴するカリスマ経営者です。
そのほか浜松市は古くからウナギ養殖の一大産地として知られ、近年では浜松餃子も話題に事足りません。浜松市は餃子王国こと栃木県宇都宮市と、年間世帯あたりの消費額で長らくトップ争いを続けており、ここ数年は宮崎市を含めた“3強の混戦”がメディアなどで報じられています。そうした一方、茶道に関しては浜松城公園内に構え、優雅な庭園を見わたせる茶室「松韻亭」が高名です。
松韻亭では桜や紅葉、月見に見られる四季折々の風物詩に合わせた茶会を例年企画し、老若男女が楽しめる茶道教室の取り組みなど、浜松市の茶道振興に大きく貢献しています。なお茶道具に関しては浜松市中区に構える「いたくら」が、桃山陶の鼠志野や黄瀬戸などを取り揃える、創業半世紀近くを有する県内有数の名店です。浜松市には、17年間にわたり拠点とした浜松城主・徳川家康由来の文化が、茶道などに見られる形として受け継がれています。
浜松市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
お手元にある大切な茶道具は、専門の鑑定士にお任せいただいた方が傷つけることなくより高い金額で査定ができます。数十年に渡る鑑定実績をもつ、我楽洞の茶道具専門の鑑定士がご自宅にうかがって、大切な茶道具を出張査定および買取をさせて頂きます。
主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
浜松市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
浜松市での強化買取中の茶道具作家
原三渓
原三渓(はら さんけい)は、日本の実業家・美術品収集家で、近代三大茶人(鈍翁・三渓・耳庵)の一人です。
25歳頃から美術品の収集を始め、明治末期にはコレクションの一部を手放して国宝の仏画「孔雀明王像」を購入しています。また、1902年頃、三渓園と呼ばれる庭園を横浜に作り、10棟もの重要文化財を移築しました。1917年には茶室・蓮華院を建設し、多くの茶会を開催しました。三渓は芸術家を支援するだけでなく、一般市民にも日本文化を広めたいという思いを持っていた人物でした。
高橋敬典
高橋敬典(たかはしけいてん)は、1920年に山形で生まれた金工家であり、本名は高橋高治(たかじ)と言い、人間国宝に認定された人物としても知られています。
1950年に釜師である長野垤志に師事し、金工の技術を深く学びました。その後、日展で初入選し、昭和天皇にも釜を献上するなどしました。1996年には重要無形文化財(人間国宝)に認定されました。
高橋敬典は、芸術性を追求しながらも実用性のある釜や鉄瓶を創り上げ、新たな造形にも挑戦しました。2009年には慢性腎不全により88歳で亡くなりました。代表的な作品には、第10回日本伝統工芸展で奨励賞を受賞した「砂鉄松文撫肩釜」、第23回日本伝統工芸展でNHK会長賞を受賞した「甑口釜」などがあります。