茶道具と愛知県一宮市の歴史
愛知県一宮市は近代数寄者の1人に数えられる「森川如春庵」の出身地とあってか、茶の湯が盛んな土地柄として知られています。一宮市の南部に鎮座する名刹・妙興寺(大和町)では、使いきった茶道具類などを火にくべる「茶せん供養」が10月の恒例行事。多い時で1日100人が妙興寺を訪れるほどです。また妙興寺は茶事の開催場としても人気で、一宮茶道連盟を中心に秋の茶会(11月)などが年間を通して行われています。
実は境内に併設する一宮市博物館も、工芸をはじめとするコレクションが充実。京都・千家十職の1つ永楽善五郎の茶器類、中国産の名品「青磁大香炉」、加賀藩の名窯「大樋焼」や地元名古屋の「七宝焼」など絢爛豪華な茶道具類が揃います。幕末の一宮市に生まれたコレクター兼茶人の「森林兵衛」が収集した煎茶道具類も、同館における見どころの1つです。
そのほか冒頭で触れた“森川家住宅”、あるいは尾張一宮駅を最寄りとする真清田神社も茶事が頻繁に開かれています。真清田神社の茶室「桃丘亭」は長きにわたり月釜を続けており、2022年には70周年記念茶会を開催。コロナ禍で延期を余儀なくされたことから、当日は700人超が茶席を埋めたことで話題になりました。こうした地域の茶道文化を支える1つが、昭和3年から一宮市萩原町で営む江戸時代創業の「京菓子司 川村屋賀峯総本店」です。同店の看板商品「羽二重餅」などを茶事の会場に届けています。店主自ら茶道を嗜み、店舗の向かいには茶室を設ける熱の入れようです。
嗜むレベルを通り越し、もはや茶道や美術品収集に生涯を奉げた森川如春庵といえば、まだ20歳前にして本阿弥光悦の名碗を2つも所持していたエピソードが語り草。若かりし頃から長けていた審美眼をもって、今日にいたっては約200点の森川コレクションが名古屋市博物館の看板的な寄贈品として展示されています。また地元一宮から名古屋に移築した「田舎家」で、森川如春庵が合計3000回もの茶会を開いた逸話も有名です。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
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一宮市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
一宮市での強化買取中の茶道具作家
吉田織部
吉田織部(ふるた おりべ)は、戦国時代から江戸時代にかけて活躍した武将であり、茶人や芸術家としても知られる人物です。
武将茶人である吉田織部は、豊臣秀吉や徳川家康、徳川秀忠の茶の湯の指南役としても活躍しました。織部流の祖として茶道に大きな影響を与え、南山城・東大和1万石の大名でもありました。茶道具や建築、作庭など幅広い活動を通じて織部好みの流行を生み出しました。
現代でも織部焼で広く知られ、漫画ヘウゲモノで吉田織部の名前を知ったという人も少なくないです。また、吉田織部は千利休の弟子であり、利休の「人と違う事をしろ」という教えを守り利休とは異なる個性的な美を追求しました。利休亡き後は「天下の茶人」となり、織部流の祖として茶道界で称えられています。
飛来一閑
飛来家は一閑張細工師の家系であり、千家十職の一つである飛来一閑(ひき いっかん)の代々の当主が襲名しています。彼らは一閑張の技法を使い、茶道具や漆工芸品を制作してきました。飛来家は明から日本に渡り、千宗旦から注文を受けるようになり、表千家の御用細工師となりました。一閑張細工は、紙を重ね貼りして漆を塗る技法で、茶道具の棗や香合などを作るために用いられます。飛来家は京都に拠点を置き、現在は16代目が当代を務めています。一閑張細工は丈夫で重厚な漆工芸品であり、高級料亭や人形やお面などに使用されています。