茶道具と千葉県木更津市の歴史
約13万人が暮らす木更津市は、千葉県の房総半島に位置する俗称「かずさ4市」の1つ。房総半島は面積が広く、かずさ4市の木更津・袖ケ浦・君津・富津などを内房エリア、対する九十九里浜や御宿海岸といった東側が外房エリアと呼ばれています。そんな木更津市といえば、潮干狩りが代名詞です。東京湾アクアラインや“赤い橋”を見わたす5つの海岸(牛込・木更津・江川・金田みたて)は、関東圏でトップクラスの知名度を誇ります。
木更津の海は干潟で遠浅のため、干潮時には普段と違う顔を見せます。かつて存在した海中電柱がその象徴で、夕暮れ時のノスタルジックかつ慕情的な景色がインスタ映えすると話題になったことも。海中電柱は貝や海藻類などの密漁を防ぐために、沖合に監視小屋を設け、そこに電線を通す際に打たれたものです。近年は暗中モニターに見られる技術の進歩で監視小屋は役目を終え、海中電柱も老朽化してきたことから2020年以降に撤去作業が進んでいます。江川や牛込海岸がインスタ映えすると口コミを集めた、海中電柱スポットでした。
また木更津海岸にかかる赤色の「中の島大橋」も、何かと話題を振りまくスポットです。陸地から中の島にかかる歩道橋で全長236メートル、高さは27メートルと桁違い。歩道橋としては「日本一の高さ」を記録しています。2000年代に人気を博したテレビドラマ「木更津キャッツアイ」のロケ地で全国区になり、各放送回から「恋人の聖地」や「赤い橋」のフレーズが定着しました。
海を抜きに語れない木更津市には、300年の歴史を紡ぐ伝統行事もあります。アクアラインの付近で1月七草の日に行われる、「中島の梵天立て」です。七夕飾りのような竹を、成人を迎える半裸姿の若者が海に掲げる早朝行事で、豊作や大漁の祈りを込めて執り行われます。茶道や茶道具に関しては、木更津茶華道の会が60年以上にわたり地域の文化振興に貢献しているメジャーな団体です。
木更津市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
木更津市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
木更津市での強化買取中の茶道具作家
黒田正玄
黒田正玄(くろだ しょうげん)は、歴代の三千家に竹を使う茶道具を納めてきた家系で千家十職の竹細工・柄杓師の名門です。
黒田家は、元は武士の家柄であったが、関ヶ原の戦いの後に竹細工職人となり、茶人や江戸幕府とのつながりを築きました。現在は十四代目が当主で、京都市上京区に仕事場を構えています。
竹細工・柄杓師は、竹の選別から磨き上げまでの技術を駆使して、優れた竹細工製品を作り出します。黒田家は千家十職の竹細工・柄杓師として、茶道具の花入や茶杓、釜敷、蓋置、香合、水指、茶筅など幅広い製品を手がけています。
大樋長左衛門
大樋長左衛門(おおひ ちょうざえもん)は、京都を発祥とする楽焼の茶器を手掛ける大樋焼の屋号で、現在は十一代目が当代を務めています。約350年の歴史があり、現在でも「楽家脇窯」として楽焼を正式に公表される唯一の家元です。
初代の土師長左衛門が開窯し、「飴釉の釉技」を後世に伝えました。四代目は「黒楽茶碗」を確立し、五代目は「大樋焼 中興の祖」と呼ばれ大きな黒茶碗で評価されました。八代目以降は茶道界との関係を深め、九代目は黒幕釉の陶才を発揮しました。十代目は陶芸界に大きく貢献し、文化勲章や文化功労者に輝いています。現在の十一代目は陶芸家でありながら世界的デザイナーでもあり、国内外で活躍しています。