茶道具と東京都国分寺市の歴史
東京都の中心部に位置し、約13万人が暮らす国分寺市。隣接する府中市に、かつての国府を置いたとされ、そのランドマーク的な要素として武蔵国分寺を設けたことが、地名に由来すると伝えられています。JR西国分寺駅から1㎞ほど南下した更地に、武蔵国分寺跡が名残をとどめるほか、付近には人気スポットに数えられる広大な国分寺公園も。さらに武蔵国分寺跡に起因する東京都公文書館のほか、いずみプラザや都立多摩図書館といった公共施設も周囲に集まります。
2025年には国分寺市の新庁舎が、この「泉町」の区画に加わる予定です。なお現在の国分寺市役所は、西武国分寺線・恋ヶ窪駅の付近にあります。西武国分寺線は国分寺と小江戸川越を結ぶ“埼玉都民”の足として古くから親しまれており、恋ヶ窪は諸説ある伝説を残すことで有名です。なかでも国府の周辺に窪地が多かったことから当初は「国府ヶ窪(こくふがくぼ)」と呼ばれ、そこから「こいがくぼ」に変化した、というのが定説とされています。また鯉が窪地に多く生息していた、恋だけにラブロマンス的なエピソードを説とする、という話も少なくありません。
そんな国分寺市の中心街といえば、高校野球の名門である早稲田実業などを擁する、JR国分寺駅周辺のエリアです。駅舎内の大型商業施設「セレオ国分寺」をはじめ、50店舗以上が軒を連ねる北口駅前商店会、南口には都立殿ヶ谷戸庭園も広がります。同庭園は三菱財閥が所有していたもので、数寄屋建築を彷彿させる茶室「紅葉亭」も見どころの1つです。ちなみに三菱財閥は、その豊富な財力を生かした美術品のコレクションで知られています。茶道具のコレクションについては、世界に3点しか現存しない中国産の名茶碗で国宝指定の「曜変天目」が代表的です。
国分寺市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
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国分寺市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
国分寺市での強化買取中の茶道具作家
金森重近(宗和)
金森重近(かなもり しげちか)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した茶人で、「宗和流茶道」の開祖として知られます。
重近(宗和)は父から茶道を学びます。宗和流は「姫宗和」と呼ばれ、京都の公家たちの間で人気を博しました。重近は千利休の教えを尊重し、独自の流派に取り入れたとされています。
また、重近は京焼の名工「野々村仁清」の才能を見出したことでも知られていて、加賀藩の藩主前田利常からも高く評価されていました。宗和流茶道は金沢や故郷の高山を中心に伝えられ、1964年には高山市で無形文化財に登録されました。現在でも国際イベントや歴史関連の場で宗和流茶道が紹介され、ますます人気を集めています。
大西清右衛門
大西清右衛門(おおにし せいえもん)は、京都を発祥とする茶器の職人が名乗る屋号で、江戸時代初期から続く茶釜師です。千家十職の一つであり、京都市中京区の三条釜座に工房を構え、現在は十六代目が当代を引き継いでいます。茶道に精通する人たちに向けた茶釜の製造に特化し、「鋳造」という工法を用います。
大西清右衛門は、初代の大西浄林から始まり、現在まで十六代続いています。特に七代の浄玄は民衆に広く知られ、美しい釜を手がけた名工として称えられています。
大西清右衛門美術館では、書物や歴代の作品が展示され、年間イベントでは茶会も行われています。