茶道具と東京都町田市の歴史
三多摩地域でトップクラスの人口を誇る、東京都町田市。不動の首位をキープする八王子市(約56万人)に次ぐ、約43万人が町田市に暮らしています。なお同3位は約26万人の府中市のため、実質的に八王子と町田市のツートップ状態なのが、言わずと知れた“地元あるある”の1つです。加えて、長年にわたり議論に終止符を打たない“あるある”の1つに、町田市の「神奈川県問題」も挙げられます。
町田市は大部分が神奈川県に囲まれているなか、議論の焦点として最も上がるのが「JR町田駅南口」です。行政上が定めた規則のため仕方ないとはいえ、JR町田駅南口は駅舎の階段を下ってロータリーに足を踏み入れた途端に、神奈川県相模原市になります。この南口には、町田の名前が入るファミレスや家電量販店などが普通に集まることから、こちら側に暮らす神奈川県民からの矛盾などが、長年の議論へと発展したきっかけだそうです。そんな南口は都県境のしがらみもあってか、大都市の割にはパッとしない街並みの一方、北口はオフィスや商業施設に見られる高層ビル群が林立します。
ファッションからグルメまで大都市にそぐう活況を呈すなか、実は茶道具で有名な2大店舗があるのも町田市の特徴の1つと言えるでしょう。いずれも駅チカ、町田駅前通り沿いに構える「茶の湯道具さがみや」と「宝永堂」です。特に「さがみや」は明治15年創業の老舗で、16代・永樂善五郎こと即全の茶碗や白薩摩茶碗など、その歴史を物語る茶道具の取り揃えに定評があります。通称「善五郎」といえば、代々が土風炉や陶芸の名手として活躍してきた、京都・千家十職の1つに数えられる名門です。現在は即全の長男である17代・善五郎が、一子相伝かつ400年以上という歴史を紡いでいます。
町田市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
町田市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
町田市での強化買取中の茶道具作家
細川忠興
細川忠興(ほそかわ ただおき)は、戦国時代から江戸時代前期の戦国武将であり、細川三斎としても知られる茶道三斎流の開祖です。
細川藤孝の子として生まれ、若くして紀州征伐に参戦し初陣を飾りました。信長の仲介で明智光秀の娘・玉子(ガラシャ)と結婚し、茶人としても優れた才能を発揮しました。千利休の弟子となり、利休七哲の一人として名高く、利休門三人衆に数えられた武将の一人で利休の最期に立ち会った数少ない弟子の一人でもあります。
また、医学にも興味を持ち、徳川家康に仕えながら漢方薬の製作にも取り組んでいました。細川忠興は茶道と戦国武将、医学など文武両道の才能を持ち、その名を残しました。
飛来一閑
飛来家は一閑張細工師の家系であり、千家十職の一つである飛来一閑(ひき いっかん)の代々の当主が襲名しています。彼らは一閑張の技法を使い、茶道具や漆工芸品を制作してきました。飛来家は明から日本に渡り、千宗旦から注文を受けるようになり、表千家の御用細工師となりました。一閑張細工は、紙を重ね貼りして漆を塗る技法で、茶道具の棗や香合などを作るために用いられます。飛来家は京都に拠点を置き、現在は16代目が当代を務めています。一閑張細工は丈夫で重厚な漆工芸品であり、高級料亭や人形やお面などに使用されています。