茶道具と静岡県三島市の歴史
箱根峠から近い距離にあり、約10万人が暮らす静岡県三島市。その由来は、古くから観光名所としてにぎわいを見せ、中心街に鎮座する「三嶋大社」と伝えられています。江戸時代の1700年代頃まで全国に普及した「暦」を、三嶋大社の神職が刷っていた話も、この地に語り継がれる歴史の1つ。徳川家康をはじめとする戦国三英傑も読んでいたとされる、三島暦(みしまごよみ)です。暦は現代のカレンダーのようなもので、三島暦は鎌倉時代が発祥ともいわれています。
実は暦に敷き詰められた細かい文字が、朝鮮から渡来した高麗陶磁器の掘り込みと似ていたことから、この手のものを「三島手」や「三島茶碗」と呼ぶようになった歴史も。こうした縁も手伝ってか、2023年に三嶋大社が「全国大陶器市」の会場に選ばれ、同イベントが盛り上がりを見せたことは記憶に新しいところです。なお三嶋大社でも境内に設ける宝物館を通して文化財などを展示しており、北条政子が奉納したと伝わる国宝「梅蒔絵手箱」で知られています。北条政子は鎌倉幕府を開いた源頼朝の正妻で、しばしば歴史の教科書に登場する、三島市ゆかりの著名人です。
そんな三島市で茶道が盛んな場所の1つに、佐野美術館の敷地内に立つ日本家屋「隆泉苑」が挙げられます。隆泉苑からは四季折々の自然を抱える回遊式庭園を眺望できるため、茶事が引き立つ場として人気です。ちなみに佐野美術館は日本刀を中心とした、約2500件のコレクションの展示および所蔵しています。創設者の佐野隆一は三島市で生まれ育ち、後年は美術品の収集や学校経営に注力した実業家です。同美術館の陶磁器コレクションでは青磁蓮弁文鉢や黒織部が代表的で、茶道具の審美眼も持ち合わせています。
三島市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
三島市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
三島市での強化買取中の茶道具作家
吉田織部
吉田織部(ふるた おりべ)は、戦国時代から江戸時代にかけて活躍した武将であり、茶人や芸術家としても知られる人物です。
武将茶人である吉田織部は、豊臣秀吉や徳川家康、徳川秀忠の茶の湯の指南役としても活躍しました。織部流の祖として茶道に大きな影響を与え、南山城・東大和1万石の大名でもありました。茶道具や建築、作庭など幅広い活動を通じて織部好みの流行を生み出しました。
現代でも織部焼で広く知られ、漫画ヘウゲモノで吉田織部の名前を知ったという人も少なくないです。また、吉田織部は千利休の弟子であり、利休の「人と違う事をしろ」という教えを守り利休とは異なる個性的な美を追求しました。利休亡き後は「天下の茶人」となり、織部流の祖として茶道界で称えられています。
黒田正玄
黒田正玄(くろだ しょうげん)は、歴代の三千家に竹を使う茶道具を納めてきた家系で千家十職の竹細工・柄杓師の名門です。
黒田家は、元は武士の家柄であったが、関ヶ原の戦いの後に竹細工職人となり、茶人や江戸幕府とのつながりを築きました。現在は十四代目が当主で、京都市上京区に仕事場を構えています。
竹細工・柄杓師は、竹の選別から磨き上げまでの技術を駆使して、優れた竹細工製品を作り出します。黒田家は千家十職の竹細工・柄杓師として、茶道具の花入や茶杓、釜敷、蓋置、香合、水指、茶筅など幅広い製品を手がけています。