茶道具と愛知県みよし市の歴史
三河地域の西側に位置し、約6万人が暮らす愛知県みよし市。実は全国に複数の「みよし」があることから、表記上などの理由で“ひらがな”に変えた経緯があります。広島県三次市や埼玉県三芳町などのほか、徳島県三好市は愛知県みよし市と同名漢字です。当初は愛知県の方も、しばらく「三好町」の表記で、2010年の単独市制と同時に「みよし市」に変更しました。由来は諸説あるなか、鎌倉時代の僧侶・行観自達坊が全国行脚の先々で出身を聞かれた際「三吉(みよし)」と答えていたことが有力のようです。
そんな愛知県みよし市は古来、1000年近くにわたり三河地域における陶磁器の主要産地の1つを担っていた歴史も。古墳時代~室町時代まで続いたとされ、市内には猿投窯の跡地が200基ほど確認されています。特に市北部の東海学園大学キャンパス付近にある「黒笹27号窯跡」では、平城京や平安京などへの献上品で全国からの需要を誇り、長きにわたって最高級品と称された資料も見つかっているそうです。1000年の歴史を証明する、有力な記録と言えるでしょう。
一方、茶道や茶道具に関しては、みよし市の指定文化財「石川家住宅」と、カネヨシプレイスの「ふるさと会館」が茶事の開催場として親しまれています。ふるさと会館は三畳台目の茶室「大慈庵」や立礼席など複数の部屋を備え、眼前の日本庭園を見わたせる文化施設です。みよし市民文化祭や七夕などで開かれる茶会のメイン会場として知られています。ちなみにカネヨシプレイスは、みよし市が初めてのネーミングライツを導入後に採用された名称です。運輸・倉庫業を営むカネヨシは、みよし市の東端に本社を構え全国展開する老舗企業で、2022年にネーミングライツ権を得ています。
みよし市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
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みよし市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
みよし市での強化買取中の茶道具作家
大西清右衛門
大西清右衛門(おおにし せいえもん)は、京都を発祥とする茶器の職人が名乗る屋号で、江戸時代初期から続く茶釜師です。千家十職の一つであり、京都市中京区の三条釜座に工房を構え、現在は十六代目が当代を引き継いでいます。茶道に精通する人たちに向けた茶釜の製造に特化し、「鋳造」という工法を用います。
大西清右衛門は、初代の大西浄林から始まり、現在まで十六代続いています。特に七代の浄玄は民衆に広く知られ、美しい釜を手がけた名工として称えられています。
大西清右衛門美術館では、書物や歴代の作品が展示され、年間イベントでは茶会も行われています。
角谷一圭
角谷一圭(かくたにいっけい)は、1904年に大阪で生まれた釜師であり、「茶の湯釜」の重要無形文化財保持者です。
角谷一圭は、幼い頃から鋳物師の父の仕事を手伝っていました。茶の湯に興味を持ち、本格的な茶道具の制作を志すようになりました。21歳で初めて工芸展に出品した鉄瓶が受賞し、43歳のときには制作した釜を昭和天皇に献上する栄誉に浴しました。
74歳で人間国宝に認定され、その後も多くの優れた作品を生み出し、1999年に95歳で生涯を閉じました。
代表的な作品には「独楽釜」「末広釜」などがあります。彼の才能と技術は多くの人々に称賛され、日本の釜師の一員として名を刻みました。