茶道具と千葉県茂原市の歴史
日本三大七夕祭りでにぎわう茂原市ゆかりの著名人に、高梨裕稔や保田勝久が挙げられます。茂原市スポーツ大使を務める高梨裕稔は、東京ヤクルトスワローズで活躍するプロ野球選手です。生まれ育った茂原市で高校時代まで過ごし、大学4年時に日本ハムファイターズから投手としてドラフト4位で指名されて入団。2016年に新人王に輝き、2019年シーズンからヤクルトスワローズを新天地としています。日ハム時代は、今やメジャーリーグの最高打者と称される3歳下の二刀流「大谷翔平」とチームメイトという間柄でした。
保田勝久は昭和初期~平成中期を生きた陶芸家です。安房郡を活動拠点とし、50代の時に木葉天目茶碗の再現に成功したことで一躍全国区に。生涯で残した茶道具類などのコレクションは、茂原市立美術館に収蔵されています。ちなみにタレントとして活動し、かつて“コリン星人”でブレイクした小倉優子も、2023年に自身のSNSで「千葉県茂原市出身なんです」と唐突にカミングアウトして話題をさらいました。
そんな茂原市の7月の風物詩が、かれこれ60回以上の開催歴を重ねる「茂原七夕まつり」です。例年2~3日にわたり行われ、80万人前後の人出でにぎわいを見せます。茂原駅周辺が約500本の「七夕飾り」で彩られ、名物「もばら阿波おどり」も見どころの1つです。古くは藻原寺(そうげんじ)の門前町として栄えた歴史を有するなか、戦後に取り組んで再び盛り上がりを果たした茂原市を象徴する一大イベントと言えるでしょう。なお茂原市の由来は、藻原寺にあるとされています。藻原寺は、茂原市役所の前を走る国道128号線を隔てた商業施設の裏手に鎮座し、茂原市立美術館などを抱える茂原公園に隣接。藻原を訓読みすると「もはら」になり、そこから訛ったことで茂原になった説が有力です。
茂原市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
お手元にある大切な茶道具は、専門の鑑定士にお任せいただいた方が傷つけることなくより高い金額で査定ができます。数十年に渡る鑑定実績をもつ、我楽洞の茶道具専門の鑑定士がご自宅にうかがって、大切な茶道具を出張査定および買取をさせて頂きます。
主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
茂原市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
茂原市での強化買取中の茶道具作家
大西清右衛門
大西清右衛門(おおにし せいえもん)は、京都を発祥とする茶器の職人が名乗る屋号で、江戸時代初期から続く茶釜師です。千家十職の一つであり、京都市中京区の三条釜座に工房を構え、現在は十六代目が当代を引き継いでいます。茶道に精通する人たちに向けた茶釜の製造に特化し、「鋳造」という工法を用います。
大西清右衛門は、初代の大西浄林から始まり、現在まで十六代続いています。特に七代の浄玄は民衆に広く知られ、美しい釜を手がけた名工として称えられています。
大西清右衛門美術館では、書物や歴代の作品が展示され、年間イベントでは茶会も行われています。
角谷一圭
角谷一圭(かくたにいっけい)は、1904年に大阪で生まれた釜師であり、「茶の湯釜」の重要無形文化財保持者です。
角谷一圭は、幼い頃から鋳物師の父の仕事を手伝っていました。茶の湯に興味を持ち、本格的な茶道具の制作を志すようになりました。21歳で初めて工芸展に出品した鉄瓶が受賞し、43歳のときには制作した釜を昭和天皇に献上する栄誉に浴しました。
74歳で人間国宝に認定され、その後も多くの優れた作品を生み出し、1999年に95歳で生涯を閉じました。
代表的な作品には「独楽釜」「末広釜」などがあります。彼の才能と技術は多くの人々に称賛され、日本の釜師の一員として名を刻みました。