茶道具と愛知県日進市の歴史
約9万人が暮らす愛知県日進市といえば、寺社にまつわるユニークなスポットが多いことです。特に古くから門前町や寺内町に見られる歴史を持つ訳ではないものの、他の地域とは一線を画す寺神社仏閣があります。日進市内に点在するなか、ひときわ目を引くのが、大安寺が鎮座する岩藤町の「五色園」です。20万坪と広大な敷地内には僧侶を中心とする、約100体のコンクリート像が配置。ディズニーランドと東京ドームを足しても追いつかないほど広大なため、園内をサファリパークのように車で周回できます。
五色園の人型塑像の作者は明治後期~大正年間に活躍した「浅野祥雲」で、コンクリート像を専門とする芸術家です。コンクリート像の分野では知られており、五色園は浅野祥雲の三大聖地の1つに数えられます。
それとは別に日進市本郷町のアート感満載な通称「サッカー神社」も、個性あふれる観光スポットの1つ。正式名称は白山宮、古くから“痛みとり石”を奉り、触れることで足腰の難を除けるといわれ崇められてきた歴史を有します。このことにちなんで2001年開催の日韓ワールドカップを機に注目を浴び、プロサッカー選手やアスリーター、はたまたサポーターなど、その参拝者は全国におよびます。2016年には境内にモダンな「足王社」が新設され、再び耳目を集めたことは記憶に新しいところです。
足王社は上空から見ると草鞋のような楕円形で、社殿としては稀有な回遊式のデザインが特徴です。屋根も波を打ったような、いわゆる“そりとむくり”が施されており、連続橋を彷彿とさせる曲線美を携えています。2020年にはグッドデザイン賞を受賞し、インスタ映えするスポットとしても話題をさらいました。そのほか日進市藤島町の龍谷寺は茶道や書道教室といった文化活動に定評があり、春の芳桜茶会もにぎわいを見せます。
日進市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
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日進市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
日進市での強化買取中の茶道具作家
駒沢利斎
駒沢利斎(こまざわりさい)は、千家十職の一人で指物師の家元が代々襲名する名称です。駒沢家は江戸時代中期に指物の制作を始め、江戸時代に活躍した七代目は、黒田正玄や飛来一閑などと共同で作品を制作しました。千家との関わりは千利休の孫である千宗旦の時代から深まりました。表千家からの指名を受け、駒沢家の指物はすべて「利休好み」の茶道具が作られることとなりました。
十四代まで続いた駒沢利斎ですが、1977年に68歳で亡くなって以降、後継者不在の状態が続いています。
金森重近(宗和)
金森重近(かなもり しげちか)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した茶人で、「宗和流茶道」の開祖として知られます。
重近(宗和)は父から茶道を学びます。宗和流は「姫宗和」と呼ばれ、京都の公家たちの間で人気を博しました。重近は千利休の教えを尊重し、独自の流派に取り入れたとされています。
また、重近は京焼の名工「野々村仁清」の才能を見出したことでも知られていて、加賀藩の藩主前田利常からも高く評価されていました。宗和流茶道は金沢や故郷の高山を中心に伝えられ、1964年には高山市で無形文化財に登録されました。現在でも国際イベントや歴史関連の場で宗和流茶道が紹介され、ますます人気を集めています。